社会・経済

[No.3322] 2・26事件のあった2月26日が今年も回ってきました。

今年も二・二六事件があった2月26日が巡ってきました。最近の社会情勢を見ますと殊に海外において1936年当時との類似性が伺われます。日本国内でも少数与党体制になっており、次の参議院選ではさらに自民党の敗北が見られそうです。心して対応しないとならないでしょう。

   ーーーーーーまとめーーーーーー

二・二六事件は、1936年2月26日(昭和11年)に東京で陸軍皇道派の青年将校たちによって起こされたクーデタです。将校とは、少尉から大佐までの階級を持つ比較的若い軍人たちを指します。この事件をきっかけに岡田内閣は総辞職しました。

二・二六事件の背景

  1. 昭和恐慌と農村恐慌: 1920年代から1930年代にかけて、日本は深刻な経済危機に陥りました。1930年(昭和5年)の昭和恐慌は特に厳しく、輸出が減少し、農村は大打撃を受け、失業者や「欠食児童」、身売りが横行しました。

  2. 政治家と財界の癒着: 大正時代から昭和初期にかけて、政党内閣と経済界の結びつきが強く、立憲政友会は三井、立憲民政党は三菱と関係が深いことが問題となりました。

  3. テロやクーデタ未遂事件の頻発: 政府と財界の癒着に反発する過激な思想が広がり、1930年の浜口首相狙撃事件や1932年の五・一五事件(昭和7年)など、多くのテロや暗殺事件が相次ぎました。

  4. 国家改造運動: 軍部独裁を目指し、大陸進出を進めようとする運動が展開されました。思想的指導者は北一輝と大川周明でした。

  5. 北一輝の影響: 北一輝は国家社会主義を唱え、軍の力で天皇中心の軍国主義国家を築こうとしました。

  6. 皇道派と統制派の対立: 皇道派はクーデタを通じて国家改造と天皇親政を目指し、統制派は官僚や経済界と結んで合法的に国家権力を握ろうとしました。

事件の経過

  1. クーデタの始まり: 1936年2月26日未明、皇道派の青年将校たちは約1500名の兵を率いて重要人物の殺害と政府機関の占拠を開始。大蔵大臣の高橋是清や内大臣の斎藤実が殺害され、岡田首相は難を逃れました。

  2. 陸軍の消極姿勢: 陸軍内部では同士討ちを恐れ、消極的な意見が多く、事態は一時クーデタ派の有利に進展しました。

  3. 昭和天皇の意思: 昭和天皇が反乱鎮圧を命じたことを受け、陸軍と海軍は鎮圧に動きました。

  4. クーデタの終結: 2月28日に反乱軍とされた部隊は解散命令を受け、クーデタは終結。首謀者たちは投降しました。

事件後の影響

  • 首謀者の処刑: 首謀者の青年将校たち19名は裁判で銃殺刑に、北一輝も死刑となりました。

  • 統制派の強化: 統制派が軍の実権を握り、政治への干渉が強まりました。

  • 広田内閣の成立: 広田弘毅が総理大臣に就任、軍の要求を受け入れて内閣を成立させました。

  • 軍の介入の継続: 軍の政治干渉が続き、軍部独裁へとつながりました。

この事件は日本の政治と軍事に大きな影響を与えました。

ではこれに関連する世界恐慌の年表は?世界恐慌は1929年に始まりました。以下は主要な事柄の日付です:

  1. 1929年9月4日(昭和4年): アメリカの株価が下落し始めました。

  2. 1929年10月24日: ニューヨーク株式市場で株価が大暴落し、「暗黒の木曜日」と呼ばれるようになりました

  3. 1929年10月29日: 「暗黒の火曜日」として知られるこの日、株価がさらに大暴落しました

  4. 1930年(昭和5年): 世界中で経済が悪化し始め、失業率が急上昇しました

  5. 1933年:(昭和8年) アメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領がニューディール政策を開始し、経済回復を目指しました

  6. 1939年(昭和15年): 第二次世界大戦の勃発により、多くの国で経済が回復し始めました

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