「間違えないこと」が正解だった教育の先に――沈黙が奪ったもの、問いが拓く未来
日本人はなぜ、海外の会議や国際的な議論の場で黙ってしまうのか。この問いに対し、「能力の問題ではない。習慣の問題だ」と鋭く指摘した論考が、東洋経済オンラインに掲載された。背景にあるのは、幼少期から刷り込まれてきた「間違えないことが正解」という教育の影響である。
日本の学校教育では、テストで正解を出すこと、先生の話を正確に写すことが高く評価されてきた。授業中に手を挙げて自由に意見を述べるよりも、静かに聞く姿勢が「良い子」とされた経験を、多くの人が共有しているだろう。その結果、「考えること」よりも「正解を当てること」が優先され、「間違えるくらいなら黙っていたほうが安全だ」という無意識の行動様式が形成された。
これは決して怠惰ではない。むしろ、評価を失うこと、浮いてしまうことへの恐れから生まれた沈黙である。しかしグローバルな場では、その沈黙は「意見がない」「考えていない」と受け取られてしまう。語学力があっても発言できない日本人が少なくない現実は、能力ではなく習慣の問題であることを示している。
著者は、こうした状況を乗り越える鍵として「問いを持つ力」を挙げる。成長している人に共通するのは、「なぜ自分はこの仕事をしているのか」「本当にこのやり方でよいのか」といった問いを、自分自身に投げかけ続けている点だ。問いは、誰かから与えられるものではなく、日常の中の小さな違和感を見逃さない姿勢から生まれる。
この文脈で提示されるのが、「ニュー・エリート」という人材像である。それは単に英語が話せる人や海外経験がある人ではない。組織や制度に依存するのではなく、自分の価値観を起点に判断し、変化の中で最適解を設計していく人のことを指す。「正解」ではなく「問い」で世界を見る姿勢が、その本質だ。
さらに著者は、自己成長の枠組みとして「パーソナル・グローバリゼーション(PG)」を提唱してきた。グローバル化は会社や制度が与えてくれるものではなく、「自分自身をどう世界とつなげるか」という個人の責任であるという考え方だ。現在はPG2.0へと進化し、その中心概念が「アダプティブ・アジリティ(適応的俊敏性)」である。
アダプティブ・アジリティとは、単に環境に合わせる力ではない。自分の前提や価値観を疑い、必要であれば一度手放し、変化の中で自分を再設計していく力である。AIやテクノロジーを脅威ではなく学びのパートナーとして捉え、不安よりも好奇心を選ぶ姿勢とも言える。
医療の現場でも同じことが言えるだろう。ガイドラインや「正解」は重要だが、それだけでは目の前の患者さん一人ひとりに最適な答えは導けない。「なぜこの症状が起きているのか」「この人にとって何が最善か」と問い続ける姿勢こそが、専門性の核心である。
「間違えないこと」から「問い続けること」へ。沈黙から一歩踏み出し、自分の地図を描く。その小さな一歩の積み重ねが、個人だけでなく、社会全体の未来を形づくっていくのではないだろうか。
清澤のコメント
眼科診療の現場でも、「正解を当てる」姿勢と「問い続ける」姿勢の違いを日々感じます。教科書的には同じ病名であっても、症状の訴え方や背景は患者さんごとにまったく異なります。そこで必要になるのは、「この人の見え方は何が起きているのか」「なぜ今この症状が問題になっているのか」と問い直す力です。
日本の教育が培ってきた正確さや慎重さは大きな強みですが、それに加えて「間違えても考え続ける勇気」を持てるかどうかが、これからの医療者、そして社会全体に問われているのだと思います。
出典
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東洋経済オンライン
「『間違えないのが正解』という教育が招いた悲劇。日本人が世界で通用しないのは“能力”ではなく“習慣”のせいだ」
(布留川 勝 氏、『ニュー・エリート論』より一部抜粋)



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