私の成果は数代前に松本で生糸工場を営んでいましたのでこの動画には大変な懐かしさを覚えました。映画にもなった「ああの麦峠」にも清澤製糸の話は少し登場します。片倉組をはじめとする岡谷や松本の工場で繭から加工されて絹糸に仕上げられた繭糸は、横浜港から輸出されニューヨーク市の西隣のホーボーケンに陸揚げされていたと聞いていましたデュポン社がナイロンの合成に成功して女性のストッキングに使われていた絹糸は、その用途を失って日本の産地も米国の工場も衰退したとは聞いていました。。横浜港には今でもシルクホテルが残っていたと思います。荷受けをしていたニューアーク辺りの工場はその後どうなっていたのでしょうか?その主要工業都市がこのパターソンだったようです。スーツ交通さんの動画からパターソン部分を切り出して紹介します。
先日の桑と蚕の小話も採録しておきます。
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