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[No.2044] 八本目の槍:今村祥吾 読書記録

清澤のコメント:この歴史小説は賤ケ岳の7本槍として知られる秀吉旗下の武将の物語です。従来関ヶ原の戦いで西軍を指揮した石田三成らと、東軍に付いた加藤清正らとの争点は文治派と武闘派の諍いととらえられていましたが、そこに少し違った方向性を見出しています。徳川の広大な所領の基盤は米でありました。一方大阪方は巨大な金を貯蔵していました。そこで、米を大暴落させることで徳川の力を削ごうとしたなどという話も出てきます。石田三成を隠された八本槍に見立てて作品は構成されています。また、各武将の幼名を駆使して、みなに知られた武将の名では誰の事かを、わざと解り難くしているようです。なお、7本槍の各々は次の通りです。

賤ヶ岳の七本槍は、以下の7人の武将を指します。

  1. 加藤清正:(一本槍:虎之介は何を見る)幼少時の名前は「虎之助」。秀吉の出生地に近い場所で生まれ、幼少の頃より秀吉に仕えていた。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、その後は肥後一国で54万石を領有した。朝鮮出兵前は財務や兵站などにも才能を見せていた。その死も自殺、他殺、病死と謎に包まれている。
  2. 糟屋武則(2本槍:腰抜け助右衛門):戦で兄を殺したことがトラウマで、戦場に出られない。播磨国加古川で1万石を領有しました。関ヶ原では西軍に付き敗れた。
  3. 脇坂安治(3本槍惚れてこそ甚内):女性に惚れてこそ甚内のエピソードが印象的。関ヶ原の戦いでは終盤で東軍に寝返った。甚内が脇坂安治であったことはそのつもりで探さないと分かりにくい。伊予大洲藩で4万5千石を領有。
  4. 片桐且元(四本槍 助作は夢を見ぬ):幼名は「助作」大和国竜田で4万石を領有した。大阪落城の間際まで大阪方を支えたが、後に大阪方から城外に追放された。
  5. 加藤嘉明(五本槍 アリの中の孫六):幼少時の名前は「孫六」または「左馬助」。馬喰であった父親が既に徳川の間者であり、親兄弟を人質に彼にもその責務が引き継がれていた。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、その後は伊予・松前20万石を領有した。
  6. 平野長泰(六本槍 権平は笑っているか):幼名は「権平」。関ヶ原の合戦の時は徳川秀忠に随い中山道を東に走るが、上田の真田正幸の計に掛り間に合わず。大和・十市5千石を領有した。
  7. 福島正則 (七本槍 槍を探す市松):幼少時の名前は「市松」。秀吉の叔母と血縁関係にあり、幼少期より秀吉に仕えていた。関ヶ原の戦いでは東軍に加わり、その後は安芸、備後で49万石の大大名となったが、計略で元和5年(1619年)に正則は広島城の無断修繕を理由に改易された。

以上が賤ヶ岳の七本槍と呼ばれる武将たちの情報。ただし、これらの情報は一部推測や伝説に基づくものも含まれており、必ずしも確定的な事実とは限らない。また、これらの武将たちは時代背景や個々の事情により、名前や領地が変動することがあったとのこと。

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