国立オリンピック記念青少年総合センターでの研究会に参加してきました。
最寄りの駅は小田急線の参宮橋。私たちの世代の眼科医にはその昔、レーシックで名を馳せた眼科医のクリニックの名前を思い起こさせます。新宿駅から小田急線普通列車で2駅です。
駅前の道路が高速道路の出口に阻まれているので、ごく北の端で道を超えるか、横断歩道協を越えないと道を渡った場所にあるセンター正門にはたどり着けません。入り口の広場にカフェがありましたが、サンドイッチとブロックジュースしかありませんでした。
本日の会場はメインビルの4階でした。電気料節約で、使える通路も制限されておりました。来歴はシンポジストの加藤総夫先生(慈恵医大痛み脳科学センター)が本題の前に簡便かつ十分に説明してくださいました。隣に馬術場が有ったり、東は明治神宮にさえぎられている、一風変わった施設で、以前は代々木練兵場の一部であったというのが納得できました。
国立オリンピック記念青少年総合センターの来歴
東京都渋谷区に位置する国立オリンピック記念青少年総合センターは、青少年に学習と体育活動の場を提供する社会教育施設です。文部科学省所管の独立行政法人国立青少年教育振興機構が運営し、一般的には「国立オリンピックセンター」として知られています。
- 起源: このセンターは、1909年に陸軍省によって設立された代々木練兵場の地に建てられました。
- 戦後は米軍に接収されワシントンハイツとして1955年には米軍の独身将校用の宿舎が建設され、さまざまな施設があったそうです。
ワシントンハイツ( Washington Heights; U.S. Air Force Washington Heights housing complex、合衆国空軍ワシントンハイツ団地)は、第二次世界大戦敗戦後の日本において、日本を占領していた連合国軍の一部であるアメリカ軍が東京・代々木に有していた、兵舎・家族用居住宿舎などからなる軍用地の名称である。
1946年(昭和21年)に建設され、1964年(昭和39年)に日本国に返還されて取り壊されるまで存在した。同地は現在、代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターなどとなっている。それを、1964年東京オリンピックの際には女子選手村として使用するということで、米軍から日本政府に戻してもらったとのこと。
- 発展: オリンピック閉会後、選手村跡地の一部がこのセンターとして利用されることになり、1965年に運営が開始されました。施設は時間とともに拡張され、体育館や研修棟、浴場なども増設されました。
- 改修: しかし、1988年には老朽化によって、新築工事が行われました。1992年から始まった工事は2001年に完了し、カルチャー棟を含む全面新装オープンを迎えました。
- 利用: このセンターは、その設備と立地により、スポーツや企業研修、修学旅行生の宿泊、NPOや学生団体の集会やイベント開催にも利用されています。また、1980年代から1990年代にかけては、中国残留孤児の捜索団の定宿としても知られていました。豪華というわけではありませんが、この施設は、多くの青少年にとって学びと成長の場として重要な役割を果たしています。本日は外国人の宿泊も多いようでした。
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