久米宏さんを偲んで
―「見ること」の重みと言葉の責任を教えてくれた人―
2026年1月、テレビ界を長年にわたり牽引してきた久米宏さんが、81歳で逝去されました。40年以上にわたり、時代の空気と社会の動きを視聴者と共有し続けてきた存在を失った喪失感は、決して小さなものではありません。多くの人にとって久米さんは、「ニュースとは何か」「社会とどう向き合うべきか」を考えるための、ひとつの基準点であったように思います。
久米さんは早稲田大学卒業後、1967年にTBSに入社。アナウンサーとして経験を重ね、1970年代には『ぴったしカン・カン』などで司会者として広く親しまれました。そして1980年代、黒柳徹子さんと共に司会を務めた音楽番組 ザ・ベストテン は、テレビ史に残る国民的番組となりました。軽妙で歯切れのよい語り口、出演者との絶妙な間合いは、単なる進行役を超えた「番組の顔」としての力量を示していました。
1985年に始まった報道番組 ニュースステーション は、久米さんの評価を決定づけた仕事でしょう。従来のニュース番組とは一線を画し、「見て分かる」「考えるきっかけを与える」報道を目指したこの番組は、夜の時間帯における情報の受け取り方そのものを変えました。久米さんの語りは、原稿をそのまま読むのではなく、記者の言葉を視聴者の理解に耐える表現へと“翻訳”する作業でした。不要な修飾を削ぎ落とし、核心を残す。その姿勢には、視聴者への深い敬意がありました。
番組最終回で見せた、どこか落ち着かない佇まいも、多くの人の記憶に残っています。その中で語られた、小学生時代の通信簿に「落ち着きがなく、協調性に欠ける」と記され、それに抗議したエピソードは、久米さんの率直さと強い自我を象徴するものでした。独自の視点を貫く姿勢は、ときに誤解を招くこともあったかもしれませんが、それこそが彼の原動力でもあったのでしょう。なお、こうした性格傾向を医学的診断と短絡的に結び付けることは適切ではなく、発達特性の評価には慎重な専門的判断が必要であることは、ここで付言しておきたいと思います。
久米宏さんの仕事は、「見ること」の重みを私たちに問い続けました。何に目を向け、何を見過ごさないか。その選択が、社会の理解を形作る――その責任を、彼は言葉と姿勢で示してきたのです。眼科医として日々診療に携わる中で、私たちもまた、単なる視力や検査値にとどまらず、患者さんが「何を見て、どう生きていくか」という視点を大切にしなければならないと感じます。
久米宏さんの言葉とまなざしは、社会と人々を結ぶ架け橋でした。その功績は、これからもテレビ史の中で語り継がれていくことでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。



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