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[No.4229] 中国が台湾に「ここまで」こだわる本当の理由とは?―天命思想と正統性の問題; 動画紹介

:中国が台湾に「ここまで」こだわる本当の理由とは?―天命思想と正統性の問題

演者:神野正史先生(元・河合塾世界史講師、「神野の世界史劇場」YouTube 講座より)

内容:

ニュースでは「中国の台湾侵攻」「一つの中国」などの言葉をよく目にします。多くの解説では、「台湾は太平洋進出の軍事拠点だから」「半導体などの経済力・技術力が欲しいから」と説明されます。しかし神野先生は、それだけでは中国の強い執着心は説明しきれないと指摘します。なぜなら中華人民共和国が建国された1949年当時、台湾には今のような経済力も技術力もなかったのに、その頃からすでに憲法レベルで「台湾は不可分の一部」と位置づけ、統一を「歴史的使命」として掲げてきたからです。note(ノート)

ここで先生は、逆に「歴史の長い時間軸」で中国と台湾の関係を眺め直します。秦、漢、隋、唐、元、明といった大帝国は、四方八方に領土を広げながらも、実は台湾にはほとんど関心を示してきませんでした。清の康熙帝が、台湾の鄭成功の政権(明王朝の残党)を倒すためにだけは異常な執着を見せて台湾を攻略しましたが、それが済むと、台湾はほぼ放置状態となり、半ば独立国のような扱いになっていきます。つまり、「領土としての台湾」が目的ではなく、「台湾に逃げ込んだ前王朝の残党を倒すこと」の方にこそ意味があった、というわけです。はてなブックマーク

その背景にあるのが、中国特有の「天命思想」と「易姓革命」という考え方だと先生は説明します。古代の殷(いん)王朝を周(しゅう)王朝が倒した時、「単なる反乱」では困るので、「殷の王が暴君になり徳を失ったため、天(神さま)が天命を取り上げ、徳のある周に与えたのだ」と物語を作りました。これが「天命思想」です。戦いに勝った者こそが、天の加護を受けた正統な支配者であり、前の王朝から天命が「乗り移った」のだ、という理屈です。この天命が別の王に移ることを「革命(易姓革命)」と呼び、本来の意味の革命とは「正統性の持ち主の交代」を指していました。はてなブックマーク+1

しかしこの考え方は、のちの王朝にとっては「諸刃の剣」になります。自分が前王朝を倒して正統になったと言う以上、将来自分が負けた時には、「天命は去った」「自分こそ反逆者だった」と認めざるを得ないからです。そこで歴代の王朝は、前王朝の残党がどこかに生き残っていることを、何より恐れるようになります。明がモンゴルの元の残存勢力を徹底的に滅ぼそうとし、清の康熙帝が台湾の「明の後継政権」を何としても叩き潰そうとしたのも、「天命を返してもらい、自分こそが唯一の正統な支配者だ」と証明したかったからだ、というのが先生の説明です。台湾そのものより、「そこに前王朝を名乗る政権がいる」ことが問題だったわけです。はてなブックマーク

この論理を現代に当てはめると、景色が一気に変わって見えます。共産党政権が大陸を支配しても、「中華民国」を名乗る政権は台湾に生き残っています。天命思想の筋を素直に適用すれば、「前王朝」である中華民国こそ正統であり、中華人民共和国は「反逆者」に見えてしまう。だからこそ、北京政府は「一つの中国」「台湾は不可分の一部」と繰り返し強調し、台湾を独自の「中国」=中華民国としては絶対に認められない。先生は、中国が台湾にここまでこだわる「本当の理由」は、軍事や経済を超えた、「自分こそが正統である」と示したい深い心理と歴史観にあるのだと整理していました。はてなブックマーク+1

清澤のコメント:

眼科の話題からは少し離れますが、日々ニュースで目にする台湾情勢の背景に、ここまで長い歴史と独特の思想が横たわっていると知ると、同じニュースが全く違って見えてきます。日本は中国文化を多く取り入れながらも、この「天命思想」だけは採用しなかったため、皇室が今も続き、王朝交代がなかったという指摘も印象的でした。目の前の出来事だけで判断するのではなく、その国が長い時間をかけて育ててきた価値観や物語を知ることが、世界を立体的に見る助けになるのだと思います。今回の講義を通じて、私自身も、今後ニュースに接するときには「その裏にどんな歴史観があるのか」を意識して眺めてみたいと感じました。

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