清澤の自省を込めたコメント:中高年者は、自分の思う正義を振り翳す事によって、結果的に自分の立場を非常に悪くする可能性があります。今一度、怒りを人にぶつける前に、自分の思う正義が其処まで普遍的に社会で支持されるものかを顧みて主張する必要がありそうです。
先日、眼科医でインフルエンサーの平松類さんの著書『「老害の人」にならないコツ』(アスコム)からの抜粋で、「高齢者が店員に激怒する理由」についてという記事を見ました。論旨は、ごもっともでありましたが、眼科医がそれを論ずべき問題か?とも感じました。眼科診療でも怒りを示す老人を診ることもあったのかもしれません。
この記事によれば:老害行動の理由: 高齢者が店員に激怒するのは、加齢による触覚や聴覚の変化が原因である可能性があります。例えば、物を持つ感覚が弱まり、小銭を落としやすくなったり、店員の声が小さく聞こえて誠意がないと感じたりすることが挙げられます。
自覚の欠如: 加齢による変化は自分では気づきにくく、無自覚のうちに老害力が増していくことがあります。
対応の重要性: 小銭を落とした後の過剰な反応や、正義感の大暴走は周囲への配慮が欠けており、社会的な壁を作ってしまう可能性があります。
老害にならないコツ: 自分にも原因があるかもしれないと考え、加齢による変化を自覚することで、無意味な衝突を避けることができます。また、正義感に固執しすぎないことも大切です。(と、著者は怒りを示す老人に対して、さまざま同情的に論じています)
このあと、老人の感情に対する脱抑制を論じた別の記事もみました。「読者も、加齢による「脱抑制」からは逃げられない。また、高齢になるほど「老い先短いのだから我慢なんかしたくない」という気持ちも強くなる。それを肝に銘じ、「暴走老人」にならぬよう気をつけるべきである。」(電車内・飲食店でキレる老人の暴走脳みそ 片田 珠美精神科医 )(https://president.jp/articles/-/26807)
他にも、老人が怒りっぽいという理由を論じた記事がありました。それらは、自分にも引き寄せて見れば、老害と言われかねない「人に怒りをぶつける発言」の危険性を指摘したものです。
更に、そのあと、タレントの勝俣州和さんが、若い世代から中高年に向けられる「老害」という言葉が行き過ぎていると指摘した記事も見ました。
この記事で、「老害」批判と「若害」問題で: タレントの勝俣州和さんは、若い世代から中高年に向けられる「老害」という言葉が行き過ぎていると指摘し、逆に「若害」という概念を提案していました。
世代間のコミュニケーション: 勝俣さんは、若い世代が先輩から学ぶことの重要性を説き、礼儀や人間関係の構築についての自身の経験を共有しています。
専門家の意見として、働き方評論家の常見陽平さんは、「老害」という言葉が若い世代による正当な異議申し立てをしやすくしたと評価しつつ、その副作用についても言及しています。
世代間の理解と尊重: 記事は、世代間の違いを尊重し、相手を年齢で判断しないことの重要性を強調しています。また、異なる世代から学ぶことの価値についても触れています。
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