宮城谷昌光の小説「公孫龍」を読んでいます。調べてみると、歴史上の公孫龍と小説内の公孫龍とは大分違うようです。両者を比較しながら、その違いについて説明をしてみます。小説では登場人物にも斉の大夫孟嘗君とか学者の郭隗(先ずは隗より始めよの成句で有名)、武将の楽毅など聞いたことのある名前があちこちに出てきます。(清澤追記:宮城谷氏は巻3の終盤になって、歴史との乖離を補うために、この物語の従来の主人公と同名で白馬非馬論を弄する名家の一人である思想家公孫龍を登場させるという掟破りの手を使っていました。)
公孫龍の歴史的背景
歴史上の公孫龍(公孫竜)は、戦国時代の中国における名家という学派の代表的な思想家です。名家は、言葉の定義と現実との関係を重視し、論理的な議論を展開する学派で、言語操作や弁証法に特化していました。公孫龍の最も有名な論は「白馬非馬論」であり、「白い馬は馬ではない」という言葉の厳密な定義とその適用に関する議論です。彼の思想は、後に『公孫龍子』という書物にまとめられ、全6篇が伝わっています。
この「白馬非馬論」は、言語の厳密性や言葉と現実の違いに焦点を当て、現代の哲学や論理学においても重要な議論の一つとされています。公孫龍は論理学の発展に貢献し、同じ名家の思想家である恵施と共に、その時代における知的対話の中で重要な役割を果たしました。
宮城谷昌光の小説における「公孫龍」
宮城谷昭光の小説に登場する公孫龍は、歴史上の哲学者としての姿とは異なり、周の皇子という政治的立場を持つ人物として描かれています。彼は謀略に巻き込まれ、燕国に送られる途中で暗殺されそうになるも命を取り留め、その後、燕国と趙国の友好に貢献します。このストーリーは、フィクションとして大胆にアレンジされており、歴史上の公孫龍の哲学的な業績とは異なる役割が与えられています。
宮城谷の作品では、実在の人物や時代背景を基にしつつも、フィクションの要素が強く組み込まれています。公孫龍は、単なる思想家ではなく、政治的な陰謀や国際関係に深く関わる存在として描かれ、さらには芸術や文化の発展にも寄与するキャラクターとなっています。これは、宮城谷が歴史を題材にしながらも、独自の解釈と創造性を作品に込めていることを示しています。
両者の違い
歴史上の公孫龍は、哲学的な議論を中心に活動した思想家であり、政治的な陰謀や命の危機に直面するという記録はありません。一方、小説に登場する公孫龍は、政治的な役割を果たしつつ、物語の中心で活躍するキャラクターです。彼のフィクション上の運命は、作者の創作によるものであり、歴史的な事実に基づいたものではありません。
結論
宮城谷昌光の「公孫龍」は、歴史上の公孫龍をベースにしつつも、フィクションとしての物語の中で全く異なる役割を与えられています。歴史上の公孫龍が言葉と論理に焦点を当てた哲学者であったのに対し、小説の公孫龍は政治的な陰謀や国際関係の中で活躍する人物です。フィクションとしての公孫龍と、実際の歴史との違いを楽しむことが、宮城谷作品を味わう一つのポイントとなります。
このように、史実と創作が交差する物語は、宮城谷昌光の作品の魅力の一つです。読者は歴史的な背景を知りつつ、物語の中で描かれる独自の展開を楽しむことができるでしょう。
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