先ずは甘柿取り。私より年長のおじさんが器用に木に登って柿を見事に取ってゆく。下では高枝切りで枝ごと切って実を収穫する。こちらの木は葉も随分散って、実も熟しており、鵯(ヒヨドリ)が随分実を既に食っていた。柿の木の後方に芸術館(オペラハウス)がみえる。少量だが甘柿を親切にも東京に無理やり持ち帰らされ職場で分けた。
次は、これが渋柿を取り始める前の状態。東側(左側)の枝にたくさん実がなってオレンジ色に見えている。この柿の木は私が生まれる数年前に、戦後の食糧不足時に実がなる木として、柿も梅、アンズ、ぽーぽう、サクランボなどと共に庭に植え加えられたそうだ。
高い枝の柿は3脚を立てて枝ごと切って降ろしてゆく。手前の電灯線と枝との干渉を避けるために相当部分の枝も切り降ろしてもらった。
小枝に着いた渋柿を短い枝ごと降ろして、ヘタ部分がT字にのこる様に剪定鋏で枝から外す。土建会社の奥さんが石に腰かけてこれを起用にさばいてゆく。これが私が手伝えたメインの仕事。ヘタの先のT字型が干す時に必要なのだそうだ。ここに見えているだけでプラスチックの籠に3つ。合計では80キロにもなった。年末までにはこれを干し柿にして東京へ送って貰う予定。最近は、松本平でも残された老婦人が死ぬと、子供らは古家を壊して、柿の収穫もせず残された木は伐採して、駐車場などにすることが多いと聞いた。
土建会社の社長さんは降ろした枝と柿の葉を分けている。枝は枝で束ね、葉は樹木用のごみ袋に分けた。松本市では可燃ごみ用の他に、剪定した樹枝用の袋が販売されている。
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