PTSD治療と眼球運動:トラウマへのアプローチと眼科との接点
私は英語での診療にも対応している眼科医として、これまでに多くの米軍軍人の退役時の眼科的評価を行ってきました。毎月数例は紹介を受け、退役に伴う視覚症状について精査し、報告を行っています。多くの場合は、白内障や網膜疾患、視力低下といった身体的な眼の病気が主な訴えですが、なかには「まぶしい」「視線が定まらない」「目が合うと怖い」など、検査では説明しきれない症状を訴える方もいらっしゃいます。
そうした症状の背景を丁寧に聞いていくと、戦場での体験や性暴力、事故などによる心的外傷(トラウマ)によって引き起こされるPTSD(心的外傷後ストレス障害)が関係しているケースがあります。
当院ではすでに、臨床心理士を月に一度チームに迎え、心と身体の両面からのサポート体制を整えています。ただし、近年注目されている「眼球運動を用いたPTSD治療(EMDR)」については、私自身はまだ臨床の現場で経験してはいません。今回、精神科領域の最新総説に目を通したことで、眼科診療と心のケアの接点について、改めて深い関心を抱きました。
PTSDは、命の危険や暴力、災害など、極度の恐怖や無力感を伴う体験から発症する精神的な障害です。米国では、成人の約6%が生涯に一度はPTSDを経験するとされており、とくに軍人や退役軍人においては、その頻度がさらに高くなっています。症状としては、トラウマの記憶が突然よみがえる「フラッシュバック」や、不眠、過度の緊張・警戒状態などがあり、日常生活に大きな支障をきたすこともあります。
近年では、PTSDに対する科学的根拠に基づいた心理療法が多く開発されており、認知行動療法(CBT)、長期曝露療法(PE)、認知処理療法(CPT)などが代表的です。なかでも今回注目したのが、EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)です。
この治療法は、トラウマの記憶を思い出しながら、左右に眼球を動かすという一見シンプルな方法を取り入れていますが、記憶の情動的な負荷を和らげる効果があり、世界中で広く使われるようになっています。レム睡眠中の眼球運動と類似の神経活動が関係しているという説もあります。
(⇒リンク)2025年に発表された最新の総説では、34の臨床試験を対象としたシステマティックレビューとメタアナリシスが行われ、非軍人では65〜86%、軍人では44〜50%の患者でPTSDの診断が解除(臨床的な治癒を意味する)されたと報告されています。特にEMDRでは、診断解除率が最も高い可能性があることが示され、視覚刺激とトラウマ記憶の結びつきが再評価されています。
ここで、私たち眼科医が注目すべき点が二つあります。
一つは、私たちが日々扱っている「眼球運動」が、精神科治療において中核的な役割を果たしているという事実です。視線の追従や目の動きに関する知見は、EMDRの技術的支援に貢献できる可能性を秘めています。
もう一つは、「まぶしさ」「視線の不快感」「目を使うことの辛さ」などが、単なる眼科疾患ではなく、トラウマ反応の一部として現れていることがあるという視点です。眼瞼痙攣や視覚過敏などとの関連においても、背景にある心理的要素に目を向けることは重要です。
心と目は、決して切り離されたものではありません。今後、EMDRのような治療への理解を深め、精神科や心理職との密な連携を築くことで、より多くの患者さんが安心して診療を受けられる体制を整えることが、私たち眼科医にも求められていると実感しています。
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