乳児虐待をめぐる重要判決 ― ニュージャージー州最高裁のSBS/AHT判断について
最近、私の知人の法律家から、アメリカ・ニュージャージー州で2025年11月20日に出された非常に重要な判決の内容を教えていただきました。テーマは、日本でも議論が続く 「揺さぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome:SBS)」や「虐待による頭部外傷( AHT)」と呼ばれる医学的・法的問題についてです。 今回は、この判決の重要な点を、眼科医として聞き得た範囲で、一般の方にもわかりや すい言葉でご紹介したいと思います。今後、より正確な翻訳が示されれば、その内容に 合わせて更新する可能性があります。
● 判決文の核心部分: 「揺さぶりだけでは重い症状を起こすという科学的根拠が不十分」 ニュージャージー州最高裁は、乳児の硬膜下血腫(脳と頭蓋骨の間の出血)、網膜出血 、脳症という「三つの症状(Triad)」がそろうと虐待と診断する、従来のSBS/AHT理論 について、 「頭部への衝撃を伴わず、揺さぶりだけでこれらが起きるとは科学的に一般受容されて いない」 と結論づけました。 このため、刑事裁判で「揺さぶりだけで三徴が起きる」という専門家証言を証拠として 使うことは適切ではないとし、無罪を支持した下級審判断を維持しました。
● 裁判所が重視したポイント
① 科学的根拠の検証 アメリカの裁判では、専門家の意見が「科学的に一般に受け入れられているか」が重要 な基準になります。 今回の判決では、SBS/AHTの理論は医学だけでなく生体力学(バイオメカニクス) 工学 といった分野でも受け入れられている必要があると判断されました。 しかし、「揺さぶりだけで脳や網膜の重度損傷を起こす」という仮説は、生体力学の研究者の間では支持されておらず、実際に人間の腕力でそれほどの加速度(Gフォース) を生み出せる証拠ないと判断されました。
② 歴史的根拠の揺らぎ SBS/AHTの理論はしばしば1968年のOmmaya博士の霊長類実験を土台にしていますが、博 士本人が後年「自分の研究をSBSの根拠に使うのは誤りだ」と明確に批判していること も指摘されました。
③ 「三つの症状」は虐待だけでは起きない 。判決は、乳児の硬膜下血腫・網膜出血・脳症は、虐待以外の原因でも起こり得ると説明 しています。 出生時の外傷 頭蓋内圧の変化、感染症、代謝性疾患 などがその一例です。 特に網膜出血については、眼科医の私としても、「重症のもののすべてが虐待由来というわけではない」ことを改めて確認する内容でした。
● 自白(供述)に頼る危うさ;虐待を認めたという「加害者の供述」に基づいて医療論文が書かれることがあります。 しかし裁判所は、 自白は虚偽の場合もあり、科学的検証の“ゴールドスタンダード”にはなり得ないと厳しく指摘しました。 独立した科学研究こそが必要だという姿勢を明確に示したことになります。
● 今後の展望;裁判所はSBS/AHT理論を完全に否定したわけではありません。 「将来、揺さぶりだけで三徴を起こすことを示す新しい科学的証拠が出れば、その証言が採用され得る」 と、扉を閉ざしてはいません。 しかし現時点では、科学界の広い分野で一般受容が得られていないため、裁判の証拠と しては不適切だという判断でした。
● 眼科医の立場から 乳児の網膜出血は、虐待の可能性を考える重要な所見ではありますが、同時に「他の原因でも起きる」ことを知っておく必要があります。 この判決は、医学と法が交わる難しい領域で、十分な科学的裏付けがないまま「虐待」 と断定してしまうことの危険性を示しています。 私としても、診断の際には医学的事実を丁寧に積み重ね、決して“決めつけ”にならな い慎重さが求められると改めて感じました。 今後も関連情報が得られれば、このブログで随時ご紹介します。



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