眼瞼痙攣

[No.2510] 眼瞼けいれんの歴史はどのように変遷していますか?(ガイドライン抜粋)

臨床質問2:眼瞼けいれんの歴史はどのように変遷していますか

清澤のコメント:眼瞼痙攣の記述が始まったのは1910年であり、独立疾患としての記載が始まったのは1980年頃だったようです。(私が医師になったのが1987年。)其処から1996年の日本でのボトックス使用の開始までは比較的短期間であったようです。私が眼瞼痙攣に関与するようになったのはボトックスの眼瞼痙攣と片側顔面痙攣とへの国内治験が行われた時からでした。

 

回答:眼瞼けいれんを含むメージュ症候群がはじめて記述されたのが1910年である。以後、眼瞼けいれんを局所ジストニアとしてのみ扱う歴史と、最近では眼瞼けいれんを独立した固有の性質を有するものとしての新たな歴史が加わってきている。

 

解説

メージュ症候群は一般に局所ジストニアたる眼瞼口唇ジストニアを指すが、必ずしもすべての部位を含まなくても使用される。医学的記載は Henri Meige が両側の顔面中央に生じる痙攣(convulsion)として10症例を報告したのが最初とされる。 Marsdenは同様の39例をBrueghel症候群として報告している。16世紀の画家、Peter Brughel (父)の「yawning man(あくびをする男)」と題した肖像画が本症に似ていたことからである。

一方。Fahnは眼瞼けいれん(blepharospasm)を「眼輪筋の痙縮による不随意的な閉瞼」と定義した。1980年代から、独立した病態として用いられ、Scottらもポツリスス番素の臨床応用の研究の中で本症に用いた。1996年には日本でもA型ボツリヌス毒素が眼瞼けいれん治療薬として承認された。

以後、眼験けいれんへの関心が高まり、メージュ症候群と眼験けいれんの臨床的観察が継続的に行われるようになった。その中に、眼験けいれんの今後の歴史に影響を与えるであろう2つの問題がある。

ひとつは、メージュ症候群も眼験けいれんも、専ら局所ジストニアとして不随意運動を主体とする症候群と理解されてきたが、異なる面も強調されている。Defazio らは40年間の臨床経験の中で、種々の臨床型があることに気付き、非連動性のさまざまな症状(精神症状、認知症状、感覚症状)が存在することを挙げた。着明(光過敏)は感覚症状の中でも特徴的症状として取り上げられた。そのメカニズムとして感覚運動系ネットワークの連結機能の低下が指摘されている。

いま1つは、眼験けいれんと向精神薬との関連である、メージュ症候群や眼瞼けいれんが向精神薬の特に長期投与や離脱時に生じる遅発性ジスキネジア(またはジストニア)として生じうることを指摘する論文が 1980年代から相次いだ。また、ベンゾジアセピン系および神経薬理学的類似薬との高い関連が記されたのは2004年である。薬剤性眼験けいれん全体の約三分の一を占めるとの報告もあり、今後の検証が待たれる。

薬剤性眼瞼痙攣とは

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