偶然に見かけた映画の予告番組です。完成した映画をどこで見られるのか探してみます。:Netflixでは見つからず、U-nextで現物を見ることができました。
■ 葛飾北斎の人物像と生涯の概略
葛飾北斎(かつしか・ほくさい)
・生年:1760年(宝暦10年)
・没年:1849年(嘉永2年)
・享年:90歳(※当時としては驚異的な長寿)
本名は川村鉄蔵。江戸本所割下水(現在の東京都墨田区)に生まれたとされます。幼少期から絵の才能を示し、19歳で浮世絵師・勝川春章に入門。その後も狩野派、漢画、西洋画など多様な画法を研究し、自身の作風を確立していきました。
改号を約30回以上繰り返すという異常なまでの自己革新を求める姿勢は、画業に対する執念の証しとも言えます。晩年には「画狂老人卍(がきょうろうじん・まんじ)」を名乗り、90歳まで制作を続けました。
■ 主な業績と代表作
1. 『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』
・代表作「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」は世界的に有名。
・西洋の遠近法を取り入れた構図、青色顔料「ベロ藍(プルシアンブルー)」の使用が特徴。
・富士山を題材に、風景・庶民の生活・自然の力強さを融合。
2. 『北斎漫画』
・絵手本として出版された絵入りの雑誌のようなもの。
・動物・人物・風景・妖怪など多種多様なモチーフを収録。
・西洋でも高く評価され、19世紀の印象派(ドガやモネなど)に影響。
3. 『諸国瀧廻り』『百物語』『富嶽百景』など
・風景や自然、幻想・怪異まであらゆるジャンルに取り組んだ多作の画家。
■ 眼科的な視点から注目すべきエピソード
1. 高齢まで視力が保たれていた可能性
北斎は90歳まで筆を持ち続け、晩年も細密な線や構図を描き続けました。そのことからも、加齢黄斑変性や重度の白内障を患っていた可能性は低いと考えられます。ある意味、良好な視力の保持が創作活動の継続を支えた例といえるでしょう。
2. 「あと5年、いや10年生きられれば…」という言葉
亡くなる前年、北斎は「あと5年、いや10年生きられれば、本当の絵師になれるのに」と語ったとされています。これは、視覚と表現に対する尽きぬ探究心と、視覚機能の維持がどれほど重要かを物語っているとも考えられます。
3. 細部への観察眼
北斎漫画や『百物語』に見られる微細な描写力は、眼の運動制御や視覚的注意の高さを示唆します。網膜の周辺視野だけではとらえきれないような細部にまで、北斎は注意を払い、繊細な筆致で表現しました。
4. 視覚錯視への関心?
作品によっては遠近法の誇張や、人間の目の錯覚を利用した構図が見られ、視覚心理や知覚への深い理解があったのではないかとも言われています。
北斎は、90歳を超えるまで筆をとり続けた。眼の健康が保たれていたからこそ、あの名作が生まれたのではないか。視力が落ちていたら、波のしぶき一つも描けなかったはず。眼科医として改めて、視覚がいかに人生と創造に深く関わっているかを感じさせられる。
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