白内障

[No.3936] そうだ、『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー著)を読んで見よう

仙台での同級会に出席した折、私はかつての眼科の恩師とお話しする機会を得ました。雑談の中で、最近私が『水滸伝』を楽しんで読んでいると話しますと、先生は「私は今『カラマーゾフの兄弟』を読み返している」とお話しくださいました。そして「一時代前のロシアでは、一部の貴族層を除けば、多くは農奴に近い生活をしていた。その社会背景を理解しなければ、現代ロシアの姿も見えてこない」とのお言葉が強く印象に残りました。『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー著)は、まさにその時代のロシアを舞台に、人間の信仰、愛、欲望、罪と救いを描いた大河小説です。物語の中心には、放埓で欲深い父フョードル・カラマーゾフと、その三人の息子たち――情熱的な長男ドミートリイ、理知的懐疑主義者の次男イワン、信仰深い修道士見習いの三男アリョーシャ、そして庶子スメルジャコフがいます。父フョードルは金銭や女に執着し、息子たちを顧みないため、遺産や恋愛をめぐって家族内の対立が深まっていきます。ドミートリイは父と同じ女性グルーシェニカを愛し、遺産問題でも争います。イワンは理性を重んじ「神がいなければすべてが許される」と考え、宗教的信仰を拒絶します。アリョーシャはゾシマ長老に師事し、信仰と愛を信じる存在で、人々の苦悩に寄り添います。やがて父フョードルが殺害される事件が起き、疑いはドミートリイに向かいます。しかし真犯人は庶子スメルジャコフで、彼はイワンの思想に影響され「父殺し」を正当化して実行しました。にもかかわらず裁判ではドミートリイが有罪とされ、シベリア流刑が言い渡されます。イワンは「思想的共犯者」としての罪責に苛まれ精神を崩し、ドミートリイは不運の象徴のように扱われ、アリョーシャは信仰を失わず若者たちに「互いに愛し合い、希望を失わぬように」と語ります。この作品の核心は「人間は神なき世界でいかに生き、罪と救いをどう捉えるのか」という問いにあります。欲望に溺れる父、激情に駆られる長男、理性に支配される次男、信仰を守る三男、それぞれが人間存在の多面性を映し出しています。最終的にアリョーシャが示す愛と信仰の姿が救いの形として描かれますが、イワンの懐疑やドミートリイの激情も否定されず、単純な答えは示されません。『カラマーゾフの兄弟』は父殺し事件という劇的な筋を通して、人間の欲望と信仰、理性と愛のせめぎ合いを描き切った作品であり、世界文学の最高峰と呼ばれる理由は「人間はいかに生きるべきか」という普遍的な問題を深く追究している点にあるのでしょう。恩師との会話を通じて、ロシア文学の背景と現代とのつながりに思いを馳せることができました。『水滸伝』と『カラマーゾフの兄弟』、東洋と西洋、異なる文化に生まれながらも、いずれも人間の本質に迫る普遍的な問いを私たちに投げかけているように感じます。

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