高円寺の路地に咲く彼岸花(曼殊沙華)について
はじめに
今週、高円寺の路地に燃えるような赤い花が咲いているのを見かけました。花の正体は「彼岸花(ひがんばな)」、別名「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」です。お彼岸の時期に一斉に咲くことからこの名で呼ばれ、日本各地で秋の訪れを告げる風物詩となっています。私も日常の移動の中で、この花の群生をあちこちで目にしました。高円寺の小さな露地にも咲いていますし、先日埼京線で代々木を通過した際には、総武線下の土手に鮮やかに群れ咲く曼殊沙華を眺めることができました。都市の真ん中でも、季節を強く感じさせてくれる存在です。
花の特徴と不思議な生態
彼岸花の最大の特徴は「花と葉が同時に姿を見せない」ことです。秋分の頃に地上に真っ赤な花茎を伸ばし、花が咲き終わった後にようやく葉が出てきます。このため「葉見ず花見ず」と呼ばれ、独特な生態として知られています。花のあとに葉が現れるため、一見すると不思議な「花だけの植物」に見えるのです。
花は放射状に広がる細い花弁と、糸のように長く伸びた雄しべが繊細な造形を作り出します。日本の里山や川辺の土手を真っ赤に染める群生は圧巻でありながら、どこか妖しげな雰囲気も漂わせます。
曼殊沙華という名前の由来
「曼殊沙華」という可憐で響きのよい名前は、実は仏教に由来します。サンスクリット語の「manjusaka(曼殊沙迦)」を音写したもので、「天界に咲く花」「見る人の心をやわらげ、吉兆をもたらす花」という意味があります。日本ではその赤い色合いから「死」や「彼岸」と結びつけられることも多い一方で、仏教的には本来、瑞兆を示す尊い花として語られているのです。
花にまつわるトリビア
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毒をもつ植物
彼岸花の鱗茎にはリコリンという毒成分が含まれており、誤食すると嘔吐や下痢を起こす危険があります。かつては田んぼの畦や墓地に植えられ、モグラやネズミを寄せ付けない“防御柵”としての役割を果たしていました。 -
花言葉の二面性
日本では「悲しい思い出」「再会」「あきらめ」といった少し寂しげな花言葉を持ちますが、中国では「天上の花」として吉祥の象徴とされ、文化圏によって受け止め方が大きく異なるのも特徴です。
赤色と目の健康
ここからは、眼科医としての視点から「赤い花」と「目の健康」に関するトリビアをご紹介します。
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赤色の見え方
彼岸花の赤は、可視光の中でも波長が長い600〜700nm付近の光によって感じられます。加齢や眼疾患によって「赤が鈍く、くすんで見える」と訴える患者さんもいます。特に白内障では水晶体の混濁によって短波長光(青)だけでなく赤の鮮やかさも低下し、秋の彼岸花が本来の鮮烈さを欠いて見えることがあります。 -
赤い光と近視研究
最近では「赤い色の光を浴びることが近視進行予防に有効である」という説が学術的にも注目を集めています。青色光や屋外光の影響についてはこれまでも研究されてきましたが、赤色光により眼軸伸長が抑制される可能性が示され、子どもの近視抑制への応用が期待されています。秋に真っ赤な彼岸花を目にすることも、そうした科学的背景と重ねて見ると新鮮な驚きを感じます。 -
赤色は注意を引く色
赤色は網膜に強い刺激を与えるため、人間の視覚において注意を引きやすい色です。信号機の「赤」や警告表示にも利用されます。群生する彼岸花が強烈に目に焼き付くのも、こうした生理学的特徴によるものです。 -
色覚異常との関係
先天的な赤緑色覚異常を持つ方にとって、彼岸花の赤はくすんだ茶色や灰色に見えることがあります。秋の風景を楽しむ際にも、色の感じ方が人によって大きく異なることを意識すると、患者さんとの会話が広がります。
おわりに
高円寺の路地に咲く彼岸花、そして代々木の川土手に群れる曼殊沙華は、ただの季節の彩りではなく、古来から人々の生活や信仰、さらには現代の視覚研究にまでつながる奥深い存在です。花と葉が別々に姿を見せる特異な生態、仏教由来の尊い名前、そして網膜に強烈に訴えかける赤色の輝き。さらに近年は、赤色光と近視抑制の関連まで議論されるようになりました。これらを知ると、道端の一輪にも新たな発見があるかもしれません。患者さんと目の健康について話す際にも、こうした季節の花をきっかけに会話を広げてみてはいかがでしょうか。
◎ 補追
「長崎物語」に出てくる“じゃがたらお春”は、江戸時代初期に実在した人物をもとにした古い話です。
お春は長崎に生まれた少女で、父はオランダ人、母は日本人だったと伝えられます。ところが江戸幕府がキリスト教徒や外国人との混血児を国外追放する政策をとったため、十代の若さでジャカルタ(当時は「ジャガタラ」と呼ばれたオランダ領バタビア)に送られてしまいました。
遠い異国に渡ったお春は、慣れない風土と暮らしの中で苦労を重ねつつも成長しました。そして日本に残された友人たちに宛てて、長崎での思い出や祖国を懐かしむ手紙を送ったといわれています。その手紙は「ジャガタラ文(ジャガタラ文書)」として残り、異国で生きた彼女の望郷の情を今に伝えています。
後世、この話は歌謡曲「長崎物語」などの題材ともなり、長崎の異国情緒や哀愁を象徴する物語として語り継がれています。つまり、「じゃがたらお春」とは、鎖国の時代に祖国を離れざるを得なかった少女の悲しい歴史を背景に、郷愁と愛国の象徴として記憶されている人物です。
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