白内障

[No.4087] がんでやせる「悪液質」 ― その謎に迫るRNA研究;論文紹介

がんでやせる「悪液質」 ― その謎に迫るRNA研究

がんの患者さんの中には、治療をしていてもどんどん体がやせ、筋肉が落ちていく方がいます。

これを「悪液質(あくえきしつ、cachexia)」といいます。普通のやせとは違い、しっかり食べても体重が戻らないのが特徴です。筋肉が減り、体力が落ち、治療への耐性も弱くなってしまう深刻な状態です。がんで亡くなる人の大きな割合に、この悪液質が関係していると考えられています。

ところが、なぜ悪液質が起こるのか、その正確な仕組みはまだよく分かっていません。食べる量が減るだけでは説明がつかず、炎症や代謝の異常、さらにはがん細胞から出る信号が全身に影響しているとみられています。

今回、Nature誌に紹介された研究(Bhattら)は、この悪液質の「分子レベルの仕組み」に迫るものでした。

研究グループは、膵臓がんや大腸がんの患者さんから筋肉の一部を採取し、その中のRNAという物質の発現を詳しく調べました。RNAは、細胞がどんな遺伝子を働かせているかを示す「活動記録」のようなものです。これを解析することで、筋肉がどんな変化をしているのかを知ることができます。

解析には「統合非負行列因子分解(NMF)」という少し難しい統計手法を使いました。これは膨大なデータを整理して、隠れたパターンを見つける方法です。その結果、筋肉のRNA発現パターンから、患者さんを2つのグループに分けることができました。

ひとつのグループでは、体重や筋肉量の減少が著しく、まさに悪液質が進行している人たちでした。もう一方のグループは、がんはあっても筋肉の減り方が穏やかで、症状も軽い人たちでした。

この違いを生み出している分子の特徴を比べたところ、炎症に関係する遺伝子や、筋肉のまわりを支える細胞外マトリクスという構造を作る遺伝子が活発になっていることがわかりました。さらに、マイクロRNAや長鎖非コードRNAという、タンパク質を作らないタイプのRNAが、筋肉細胞の働きを大きく調整していることも見えてきました。これらが、悪液質を進める「スイッチ」のように働いている可能性があります。

興味深いのは、動物実験で重視されてきた「筋肉を分解する遺伝子(プロテオリシス関連遺伝子)」が、人の悪液質ではそれほど目立たなかった点です。つまり、人間の悪液質は単純な「筋肉が溶ける病気」ではなく、もっと複雑な遺伝子ネットワークが関わっていると考えられます。

この研究には限界もあります。健康な人の筋肉を対照に取ることは倫理的にできず、時間を追って変化をみることもできませんでした。それでも、この成果は「悪液質には複数のタイプがあり、RNA発現の違いによって分けられる」という新しい視点を示しました。将来的には、この違いをもとに「悪液質を起こしやすい人を早く見つける検査」や「分子を狙った治療法」の開発につながると期待されています。


出典

Bhatt et al. Molecular subtypes of human skeletal muscle in cancer cachexia. Nature, 2025年10月8日.

Haase K, Jamal-Hanjani M. Clues to why the weight-loss condition cachexia arises when cancer occurs. Nature News & Views, 2025年10月8日.


清澤のコメント

悪液質は、眼科の診療では直接扱うことは少ないものの、全身の健康状態を知るうえで大切な病態です。がんに限らず、慢性疾患で筋肉が衰えることは生活の質を大きく下げます。今回の研究が示したように、「筋肉のRNA発現パターン」に基づいて個人差を見分ける時代が来れば、早期の介入が可能になるでしょう。栄養だけでなく、炎症や遺伝子制御の視点からも“やせ”を考える必要がありそうです。

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