がんと脳梗塞の意外な関係 ― トルソー症候群をご存じですか?
がんという病気は、その進行や転移によって命を脅かすものと認識されていますが、実は脳梗塞(脳の血管が詰まる病気)の引き金になることもあるということをご存じでしょうか? その代表的な状態が「トルソー症候群」と呼ばれるものです。
2025年8月号の『日医雑誌』に、東京女子医科大学の野川茂先生がこのがん関連脳卒中について分かりやすい解説をされており、大変参考になりました。今回はその要点を、皆様にも平易な言葉でご紹介します。
◆ トルソー症候群とは?
トルソー症候群(Trousseau syndrome)とは、がんに伴って体内の血液が固まりやすくなり、脳梗塞や静脈血栓症(深部静脈血栓、肺塞栓など)を引き起こす状態をいいます。
19世紀のフランスの医師トルソーが、がん患者にみられる遊走性の静脈炎(血栓性静脈炎が体のいろいろな部位に移動して起こる現象)を報告したことに由来しています。
◆ がんと血栓 ― なぜ脳梗塞が起きるのか?
がん患者さんでは、がん細胞が血液の「固まりやすさ(凝固能)」を異常に高めることがあります。これは転移によるものではなく、がんそのものが持つ性質によるものです。
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がんによる死因の多くは本体の進行(71%)ですが、がん関連血栓症で亡くなる方も約9%にのぼります。
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特に静脈血栓塞栓症(VTE)のリスクが高く、深部静脈血栓症や肺塞栓症を引き起こすことがあります。
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最近では、動脈側の血栓(=脳卒中や心筋梗塞)も、トルソー症候群の一部と考えられるようになってきました。
◆ 非細菌性血栓性心内膜炎(NBTE)という塞栓源
がん関連の脳卒中のなかで特に注目されているのが「非細菌性血栓性心内膜炎(non bacterial thrombotic endocarditis: NBTE)」です。
これは、心臓の弁のところに細菌感染ではない血栓が形成される病態で、これが血流にのって脳へと飛んで塞栓を起こすことがあります。
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NBTEは特に腺がん(胃・膵臓・肺など)や白血病などの造血器腫瘍で起こりやすく、
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虚血性脳卒中のうち活動性がん合併は6.7%、NBTEはこのうちの8.2%に過ぎなかったと報告されています。
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最近では、がん細胞が放出するムチンやNETs(好中球細胞外トラップ)が、血栓形成に関与することも分かってきました。
◆ 予防と治療 ― ヘパリンが鍵
がん関連脳卒中の再発予防には、低分子ヘパリン製剤(LMWH)の使用がゴールドスタンダードとされています。
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一般的な脳梗塞と異なり、抗血小板薬よりも抗凝固薬(血液をさらさらにする薬)の方が有効です。
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ただし、この分野はまだ発展途上であり、エビデンスの蓄積が必要とされています。
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最近では直接経口抗凝固薬(DOAC)の有効性を検討する動きもあります。
◆ 清澤眼科院長としての一言
眼科診療でも、高齢のがん患者さんが視力の低下を訴えて来院されることがあります。その背景に、がん関連の脳梗塞(視中枢や視放線の梗塞)が隠れていることもあるため、注意深い問診が欠かせません。
トルソー症候群という病態を知っておくことで、がん患者さんの「思いもよらない脳梗塞」を早期に察知し、連携医療につなげることができるかもしれません。
【参考文献】
野川 茂. がん関連脳卒中:癌の進行より先に起きる脳梗塞のメカニズムと対応. 日本医師会雑誌, 2025年8月号.
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