1969年(昭和44年)にATG・表現社製作、篠田正浩監督脚本、富岡多恵子、武満徹共同脚本により映画化された。治兵衛には二代目中村吉右衛門、小春・おさん二役に岩下志麻を起用し、通常の劇映画と異なる実験的な演出で、人形浄瑠璃や歌舞伎の雰囲気を色濃く漂わせる作風となっており、その年度のキネマ旬報邦画ベストワンを獲得した。
少し長いですがあらすじを引用します。
あらすじ
紙屋の治兵衛は二人の子供と女房がありながら、曽根崎新地の遊女・紀伊国屋小春のおよそ三年に亘る馴染み客になっていた。小春と治兵衛の仲はもう誰にも止められぬほど深いものになっており、見かねた店の者が二人の仲を裂こうとあれこれ画策する。離れ離れになるのを悲しむ小春と治兵衛は二度と会えなくなるようならその時は共に死のうと心中の誓いを交わした。ある日小春は侍の客と新地の河庄にいた。話をしようにも物騒なことばかりを口にする小春を怪しみ、侍は小春に訳を尋ねる。小春は「馴染み客の治兵衛と心中する約束をしているのだが、本当は死にたくない。だから自分の元に通い続けて治兵衛を諦めさせて欲しい。」と頼む。開け放しておいた窓を閉めようと小春が立った時、突如格子の隙間から脇差が差し込まれた。それは小春と心中するために脇差を携え、店の人々の監視を掻い潜りながらこっそり河庄に来た治兵衛だった。窓明かりから小春を認めた治兵衛は窓の側で話の一部始終を立ち聞きしていたのだ。侍は治兵衛の無礼を戒めるために治兵衛の手首を格子に括り付けてしまう。すると間が悪いことに治兵衛の恋敵である伊丹の太兵衛が河庄に来てしまう。治兵衛と小春を争う太兵衛は治兵衛の不様な姿を嘲笑する。すると治兵衛を格子に括った侍が今度は間に入って治兵衛を庇い、太兵衛を追い払った。実は武士の客だと思ったのは侍に扮した兄の粉屋孫右衛門だった。商売にまで支障を来たすほど小春に入れ揚げている治兵衛に堪忍袋の緒が切れ、曽根崎通いをやめさせようと小春に会いに来たのだった。話を知った治兵衛は怒り、きっぱり小春と別れることを決めて小春から起請を取り戻した。しかしその中には治兵衛の妻・おさんの手紙も入っており、真相を悟った孫右衛門は密かに小春の義理堅さを有難く思うのだった。
それから10日後、きびきびと働くおさんを他所に治兵衛はどうにも仕事に精が出ず、炬燵に寝転がってばかりいた。その時治兵衛の叔母と孫右衛門が小春の身請けの噂を聞いて治兵衛に尋問しに紙屋へやって来た。ここ10日治兵衛はどこにも行っていない、身請けしたのは恋敵の太兵衛だという治兵衛とおさんの言葉を信じ、叔母は治兵衛に念のため、と熊野権現の烏が刷り込まれた起請文を書かせると安心して帰っていった。しかし叔母と孫右衛門が帰った後、治兵衛は炬燵に潜って泣き伏してしまう。心の奥ではまだ小春を思い切れずにいたのだ。そんな夫の不甲斐無さを悲しむおさんだが、「もし他の客に落籍されるようなことがあればきっぱり己の命を絶つ」という小春の言葉を治兵衛から聞いたおさんは彼女との義理を考えて太兵衛に先んじた身請けを治兵衛に勧める。商売用の銀四百匁と子供や自分のありったけの着物を質に入れ、小春の支度金を準備しようとするおさん。しかし運悪くおさんの父・五左衛門が店に来てしまう。日頃から治兵衛の責任感の無さを知っていた五左衛門は直筆の起請があってもなお治兵衛を疑い、おさんを心配して紙屋に来たのだ。当然父として憤った五左衛門は無理やり嫌がるおさんを引っ張って連れ帰り、親の権利で治兵衛と離縁させた。おさんの折角の犠牲も全て台無しになってしまったのだった。
望みを失った治兵衛は虚ろな心のままに新地へ赴く。小春に会いに来たのだ。別れた筈なのにと訝しがる小春に訳を話し、もう何にも縛られぬ世界へ二人で行こうと治兵衛は再び小春と心中することを約束した。
小春と予め示し合わせておいた治兵衛は、蜆川から多くの橋を渡って網島の大長寺に向かう。そして10月14日の夜明け頃、二人は俗世との縁を絶つために髪を切った後、治兵衛は小春の喉首を刺し、自らはおさんへの義理立てのため、首を吊って心中した。
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