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[No.2512] 窓際のトットちゃんの母校は?

「自由が丘/Notre Havre de Liberté et de Création/自由と創造の我等が母校/(中略)/私たちこの地に学び育まれた者は、ここに行われた教育が、時をこえて生き続けることを願い、恩師への敬愛と感謝の思いを込めて、この碑を建てる。/自由が丘学園/トモエ学園 同窓生 並びに 関係者一同」 (イオングループの商業施設「JIYUGAOKA de aone」に建てられた記念碑)

当医院の西側の道を自由が丘学園高校の生徒さんが毎朝延々と北に向かって登校してゆきます。最近読んだ「窓際のトットちゃん」の著者黒柳徹子さんの母校トモエ学園とこの自由が丘学園の関連が気になって調べてみました。昭和3年に手塚岸衛により創設された自由が丘学園の小学校と幼稚園が手塚の没後に小林宗作に引き継がれてトモエ学園となった。中学部門は藤田喜作に引き継がれて自由が丘学園高等学校になって現在に続いているという事のようです。また、「自由が丘」という駅名も「自由が丘」という地名もこの自由が丘学園に倣って後に名付けられたという稀有な歴史を持つのだそうです。

 

トモエ学園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

トモエ学園は、かつて東京都目黒区自由ヶ丘(現在の自由が丘)に存在した私立幼稚園小学校(旧制)リトミック教育を日本で初めて実践的に取り入れた学校として知られる。また同学園出身の黒柳徹子が著したベストセラー窓ぎわのトットちゃん』によって、一躍その名が全国に知れ渡った。

沿革[

  • 1928昭和3年)- 手塚岸衛が「自由教育」を唱道し、東京府荏原郡碑衾町大字衾に、中学校(旧制)小学校幼稚園からなる自由ヶ丘学園を創設
  • 1936(昭和11年)- 手塚が死去。学園は経営難に陥り、中学校部門は藤田喜作に引き継がれ、現在の自由ヶ丘学園高等学校となる。
  • 1937(昭和12年)- 成蹊小学校などで教鞭を執った小林宗作が、小学校と幼稚園を引き受ける形でトモエ学園を創設。「リトミックによる創造教育」を実践した。
  • 1944(昭和19年)- 太平洋戦争激化により、児童の多くが疎開する。
  • 1945(昭和20年)- 東京大空襲により校舎が焼失。のちに幼稚園のみ再建。
  • 1963(昭和38年)- 小林の死去に伴い幼稚園を閉園、以後休校とする。

備考

  • 跡地は「ピーコックストア自由が丘店」となっていた。2000年代に入りイオン傘下に入った同店は、建て替えに伴い、2021年5月末に閉店した。その後はイオングループの商業施設「JIYUGAOKA de aone」が建設され、2023年10月20日に開業した。
  • 1988昭和63年)、有志により、跡地に以下の記念碑が建立された
  • この碑は商業施設「JIYUGAOKA de aone」のオープンに伴ってリニューアルされ、2023年11月24日に除幕式が行われた。

「自由が丘/Notre Havre de Liberté et de Création/自由と創造の我等が母校/(中略)/私たちこの地に学び育まれた者は、ここに行われた教育が、時をこえて生き続けることを願い、恩師への敬愛と感謝の思いを込めて、この碑を建てる。/自由が丘学園/トモエ学園 同窓生 並びに 関係者一同

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