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[No.3054] 「泣いて馬謖を斬る」とは

『諸葛亮』という歴史小説を読み、その中で「泣いて馬謖を斬る」というエピソードに触れました。今回は、この故事成語の意味についてご紹介します。


「泣いて馬謖を斬る」とは

「泣いて馬謖を斬る」は、中国三国時代の蜀(しょく)における名将・諸葛亮(しょかつりょう・孔明)と、その部下・馬謖(ばしょく)にまつわるエピソードに由来する故事成語です。この言葉は、指導者が私情に流されず、規律を守るために厳しい処罰を断行する決断を示す際に用いられます

背景と故事の内容

蜀の名将・諸葛亮は、もともと劉備(りゅうび)に仕えていましたが、劉備の死後は蜀の中心人物として数々の戦略を練り、国の発展と領土拡大に尽力しました。馬謖はその若手の一人で、諸葛亮に深く信頼されており、才能が豊かで将来を嘱望されていました。しかし、馬謖には実戦経験が不足している点が課題とされており、生前の劉備にも重用を戒められていました。

ある日、諸葛亮は魏との戦いに臨み、北伐を決意します。魏軍に対抗するための戦略的要地である街亭(がいてい)の守備を馬謖に任せました。馬謖は意気込んで任務に就きましたが、戦場の状況を的確に判断することができませんでした。経験不足から、飲料水の確保が困難な山頂に布陣してしまい、結果として魏軍の猛攻を受けて大敗を喫します。この敗北により、蜀軍は大きな損害を受け、諸葛亮の北伐計画も失敗に終わりました。

「泣いて馬謖を斬る」決断

諸葛亮はこの馬謖の失敗を重く受け止め、蜀軍の規律を守るためには厳罰を避けられないと判断しました。馬謖は優れた才能を持ち、将来を期待されていた人物でしたが、彼の過ちは戦局に悪影響を及ぼしたため、厳しい処罰を下さざるを得なかったのです。諸葛亮は涙を流しながらも馬謖を処刑し、蜀の軍規を守る決断を下しました。深い愛情と信頼を寄せていた馬謖に対する厳しい処罰は、諸葛亮にとって非常に辛いものでしたが、組織の規律を守るためにあえて断行したのです。

教訓と意味

「泣いて馬謖を斬る」という言葉は、愛情や情に流されず、規律と秩序を守るために厳しい決断を下さねばならないリーダーの苦渋の選択を象徴しています。この故事は特にリーダーシップにおいて、規律や組織の方針を貫くために、時には個人感情を抑えた厳格な判断が求められるという教訓を示しています。

後世においても、この故事は組織の秩序や全体の利益を守るため、指導者が私情を抑えて決断を下すことの重要性を語る際によく引用されます。リーダーの役割や責任の重さを象徴する「泣いて馬謖を斬る」は、今日でも様々な場面で引き合いに出され、組織全体のために私情を排して決断する教訓として語り継がれています。

次に読む本として、諸葛亮を題材にしたものを選びました:

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