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[No.3458] 春の海を見に観音崎に行きました

天気も良く、水曜日は医院も休診日なので三浦半島横須賀美術館に行きました。昔は良く観音崎の海辺に立つホテルでお茶を飲んだのですが、最近は会員制になったらしく此処ではお茶が飲めません。そこで、最近は向かいにできた横須賀美術館に車を止めます。地下駐車場前の桜が満開でした。

    櫻の脇から石段を上ると草原に東屋が立っており、海が見晴せます。足元にはタンポポ、菜の花、そして懐かしいオオイヌノフグリが小さな水色の花を付けていました。散歩する人々も三々五々といました。

 坂を下りるとボードウォークがあります。今はさみしくボートが引き上げられています。右を見ると観音崎灯台。

  手前には磯が広がります。

春の海という正月に流れることの多い盲目の琴の作曲家の曲を思い出しました。

宮城道雄(1894年生)は、幼少期に眼病を患い、7歳で失明しました。原疾患は不詳。しかし、その後も音楽への情熱を持ち続け、8歳で生田流箏曲を学び始め、後に「新日本音楽」の創始者として知られるようになりました。彼は箏の改良にも尽力し、十七絃箏を開発するなど、日本音楽の革新に大きく貢献しました。

代表作の一つである『春の海』は、1929年に作曲されました。この曲は、箏と尺八の二重奏で構成され、瀬戸内海の穏やかな春の情景を描写しています。1932年には、フランスのヴァイオリニスト、ルネ・シュメーが尺八パートをヴァイオリンに編曲し、宮城と共演したことで、国内外で広く知られるようになりました。現在では、日本の正月を象徴する楽曲として、多くの場面で演奏されています。宮城道雄の生涯は、視覚障害を乗り越え、音楽を通じて多くの人々に感動を与えた例として、多くの人々に影響を与え続けています。

 

 

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