虐待性頭部外傷(AHT)とは何か
― 米国小児科学会テクニカルレポートをもとに ―
清澤のコメント:AHTに関する見識の高い、脳外科医の藤原一枝先生がこの問題に関するいくつかの論文を教えてくださいました。最初はこの論文です、AHTが眼底出血を示すことが多いという従来の説明に私は反対ではありません。しかし、眼科医による安易な「眼底出血がAHTを示唆している」という内容の意見書が冤罪を生みかねないとの危惧から、私は眼科医が症例に対する発言に慎重であるべきだと考えています。また、AHTの時に見られる網膜出血が、単なる眼球(網膜と硝子体)に対するゆさぶりの外力で起きるのか、テルソン症候群で見られるような脳圧亢進に伴う2次的な眼底出血を見ているのかという別の問題も残されています。
以下に抄出する文書は、米国小児科学会(American Academy of Pediatrics:AAP)が発表した、乳幼児にみられる「虐待性頭部外傷(Abusive Head Trauma:AHT)」に関する技術報告の要約です。AHTとは、乳児や小さな子どもが、強く揺さぶられたり、叩きつけられたりすることで生じる重い頭部外傷を指します。特に5歳未満の子どもに多く、重症頭部外傷の主要な原因の一つとされています。死亡率は10〜20%と高く、生存しても重い後遺症を残すことが少なくありません。
AHTは生後数か月の乳児に多く、発生は生後2か月頃にピークを迎えます。背景として、乳児の激しい泣き声が介護者の強いストレスや衝動的行動を引き起こすことが指摘されています。加害者は父親や同居する男性介護者が多く、母親が加害者となる割合は1〜2割程度とされています。また、貧困や社会的孤立などの環境要因も、リスクを高める要因として挙げられています。
診断の難しさも、この病態の大きな特徴です。AHTでは、はっきりした外傷の説明が得られないことが多く、症状も「元気がない」「吐く」「機嫌が悪い」といった非特異的なものから始まります。重症例では、けいれんや呼吸が止まるといった命に関わる症状が出現します。医師は、保護者から語られる受傷の経緯と、実際の身体所見や画像検査の結果が一致しているかを慎重に評価します。
身体所見として重要なのが、あざ(皮下出血)です。特に、まだ自分で動けない乳児に顔や耳、首、体幹にあざがある場合は、偶発的な事故では説明しにくく、虐待の可能性が高いとされます。また、頭囲が急に大きくなる「マクロセファリー」も注意すべき所見で、過去の硬膜下出血が背景にあることがあります。
画像検査では、CTやMRIが用いられ、AHTでは硬膜下出血が非常に高率に認められます。これらは単発ではなく、時期の異なる出血が混在していることも多く、繰り返す外力を示唆します。肋骨や長い骨の骨折が見つかることもあり、特に背中側の肋骨骨折は虐待との関連が強い所見です。
このレポートでは、生体力学的研究や動物実験、死後標本研究の知見にも触れ、「短距離の転落だけで、重篤な脳損傷が起こることは極めてまれ」であることが示されています。一方で、「揺さぶり単独で重度損傷が起こるか」については研究結果が分かれており、現実には揺さぶりと衝撃が組み合わさって傷害が生じるケースが多いと考えられています。
鑑別診断も重要です。出生時の頭部外傷や網膜出血、血液の病気、脳の発達に伴う一時的な硬膜下出血など、AHTと似た所見を示す状態も存在します。そのためAHTの診断は、単一の所見だけで決めるものではなく、病歴、身体所見、画像、眼科所見、検査結果を総合して慎重に行う必要があります。
治療に関しては、明確なエビデンスに基づく統一ガイドラインはありませんが、脳圧管理や外科的治療が行われることがあります。予後は厳しく、生存者の約3分の1に重い障害が残り、視覚障害も25〜30%に認められます。
最後に、この文書は予防の重要性を強調しています。乳児の泣き声は発達上ごく自然なものであり、「泣いても安全な場所に置いて一度離れる」ことが許される行動であると、社会全体で共有する必要があります。教育プログラムは知識や意識の向上には有効ですが、発生率を確実に下げるには、社会的支援や経済的支援も含めた包括的な対策が必要とされています。
眼底(網膜)出血に関する部分の要約
虐待性頭部外傷(AHT)において、網膜出血は最も重要で感度の高い眼科的所見とされています。AHTが疑われる乳幼児の約80%に網膜出血が認められ、特異度は90%以上と報告されています。特徴的なのは、両眼性で、数が多く、網膜の周辺部まで広がる点です。ときに、網膜のしわ(網膜ひだ)や視神経乳頭の腫れを伴うこともあります。
一方、出生時にも網膜出血は比較的よく見られますが、その多くは網膜の浅い層に限局し、出生後2週間以内に自然に消失します。3週間以上持続する場合や、層が深く数が多い場合は、出生に起因しない可能性を考える必要があります。網膜出血の評価には、眼科専門医による詳細な眼底検査が不可欠であり、AHT診断において重要な役割を果たします。
出典(引用文献)
Narang SK, Haney S, Duhaime AC, Martin J, Binenbaum G, de Alba Campomanes AG, et al; American Academy of Pediatrics (AAP) Council on Child Abuse and Neglect, Section on Ophthalmology, Section on Radiology, Section on Neurological Surgery, and collaborating societies. Abusive Head Trauma in Infants and Children: Technical Report. Pediatrics. 2025;155(3):e2024070457. doi:10.1542/peds.2024-070457. pubmed.ncbi.nlm.nih.gov



コメント