編集者への手紙(素案) 自由が丘清澤眼科 清澤源弘
揺さぶられっこ症候群による障害を子供に与えたという疑いで刑事告発された親が無罪罪判決を得たという事例が多発しています。乳児虐待の現場から被害に遭っている乳児を救うということの意義には私も全く異論はありません。しかし、「多発性で重層性の網膜出血」だからと言って、両親から直接事故当時の話を十分に聞いていない状況で、眼科医が「揺さぶられっこ症候群」である可能性が高いという内容の診断書を書くと、どういうことが次に起きるかが問題です。
眼科医の意見だけを根拠に、児童相談所は子供を虐待から守りたい一心で両親と子供を引き離す命令(一時保護)を出しかねません。その命令は一方的な行政処分、警察の逮捕と似た仕組みで、親子分離が2カ月以上続くことが多いようです。たとえ誤認であっても、不服申請や訴訟にはさらに手続きや時間がかかります。
「赤ちゃんを転ばせないで」という本は二人の小児脳神経外科医(藤原一枝氏と西本 博氏)がこのような事例に直面する中で作られました(1、2)。私も眼科医として執筆しています。
世界の代表的論文やガイドラインを見ますと、最近は、AHT(abusive head trauma)と呼ばれることが多い「揺さぶられっこ症候群」の網膜出血の原因は、揺さぶられた時の網膜に密着している硝子体による網膜牽引が主とされているようです(3)。これに対して、乳児の転倒や低い位置からの転落に伴って起こる急性硬膜下出血(中村1型とよばれる)では、頭蓋骨の融合が不完全であるにも拘わらず、硬膜下出血に伴う脳圧亢進によって起きる眼底出血であって、テルソン症候群のような機序で起きることが考えられています。
事故による硬膜下血腫でも多層性・広範囲な眼底出血が明確にありうるとしている論文(4)が2018年に報告されました。目撃者の受傷機転の説明を児童相談所に相当する機関も認証した「低位落下による事故性の外傷の8例中では全例に眼底出血が認められています。 さらに8例中の3例は多層性、広範囲と判定されています。
「眼底出血が多層性かつ多発性である」という所見(図1)から、乳児虐待症候群であるのか、単なる転倒事故の結果であるのか?の推定は可能です。しかし、その確定はできません。眼科医が親の乳児虐待が疑わしいと推定した場合においても、その診断書で次に引き起こされる社会的影響も十分勘案して「乳児虐待の可能性も否定できない」という程度に慎重な意見書を書かれますことを眼科医諸兄にお願いする次第です。
図:多層性で広範囲な眼底出血(Vinchon分類grade 3)を呈した転倒事故乳児の眼底写真(西本博氏提供)
文献
1.清澤源弘:虐待および事故による乳児頭部外傷における網膜出血;赤ちゃんを転ばせないで―中村Ⅰ型を知るー 藤原一枝、西本博、櫻井圭太、清澤源弘著、P70-75.三省堂書店/創英社、(東京)2021、
2,家庭内での事故による急性硬膜下血種における眼底出血-abusive head trauma(AHT)との比較検討から–:西本博、藤原一枝;2021日本小児神経外科学会抄録集。
3,Maguir SA, Watts PO, Shaw AD, Holden S, Taylor RH, Watkins WJ, Mann MK, Tempest V, and Kemp AM: Retinal hemorrhages and related findings in abusive and nonabusive head trauma a systemic review. Eye 27.28-36, 2013
4,Atkinson N, von Rijn RR, Starling SP: Childhood falls with occipital impacts. Pediatr Emerg Care;34:837-841:2018
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