潜水艦ろ号未だ浮上せず――戦後日本の安全保障意識と映画の背景
テニアン島に原子爆弾を運んだ米国の重巡洋艦インディアナポリスが、任務を終えてテニアンを出た後、日本の潜水艦による魚雷攻撃で撃沈されたことは、実際の歴史として知られています。攻撃を行ったのは1000トン級のロ号潜水艦ではなく、5000トン級の大型潜水艦イ号であり、この艦は終戦まで撃沈されずに残存していました。ところが1954年、新東宝が制作した映画のタイトルは「潜水艦ろ号未だ浮上せず」でした。映画は事実の再現ではなく、象徴的な物語として描かれていたのです。
この映画が公開されたのは、1952年のサンフランシスコ講和条約による日本の主権回復直後でした。そして私は1953年にこの日本で生を受けました。つまり私自身の誕生と重なる時代背景として、この映画には「戦後日本の安全保障意識の変化」が色濃く反映されていると感じられるのです。
占領から主権回復へ
戦後直後、日本はGHQの占領下にあり、戦争や軍事を扱う映画は厳しく規制されていました。戦争を美化することは許されず、国民の前に軍隊の存在を想起させるような作品は封印されていたのです。しかし1952年に日本は独立を回復し、1954年には自衛隊が発足します。まさにその同じ年に公開されたのが「潜水艦ろ号未だ浮上せず」であり、単なる娯楽映画というより、国民の心に「再び防衛を考えるべき時代が来た」という意識を芽生えさせる役割を持っていたといえるでしょう。
映画に込められたメッセージ
映画は、潜水艦に乗り込む若い兵士たちの奮闘と犠牲を描きながらも、決して戦争を讃美するものではありませんでした。むしろ技術や装備の劣勢の中で苦闘し、最後には「われ目下浮上戦闘中なり」との電報を最後に沈んでいく悲劇が中心です。そこには「勇敢に戦った兵士たちへの追悼」と同時に、「再び同じ過ちを繰り返さないために歴史を忘れてはならない」という二重のメッセージが込められていました。
冷戦構造と防衛意識
1950年代は朝鮮戦争を経て冷戦が激化し、日本は米国の同盟国として安全保障体制を整える必要に迫られました。自衛隊創設と同じ年に潜水艦映画が公開されたのは偶然ではなく、当時の国民に「外敵から身を守る力の必要性」を強く意識させたと考えられます。戦争を否定しながらも、現実には防衛を考えざるを得ない――その矛盾を背景に、この映画は制作されたのです。
戦後世代としての視点
私自身、1953年生まれとして、この映画の公開とほぼ同じ時代に育ちました。幼少期の日本は、戦争の傷跡を背負いながらも、平和国家として歩みを始めた時期でした。しかし国際情勢は冷え込み、国民の意識は「戦争を否定する心」と「防衛を求める現実」の間で揺れ動いていました。この映画の題名「未だ浮上せず」には、戦争の記憶が沈んだまま、しかし忘れられずに国民の心の奥底に残っていたことを示す象徴的な響きがあるように思います。
おわりに
「潜水艦ろ号未だ浮上せず」は、単に潜水艦戦を描いた戦争映画ではなく、戦後日本が直面した「安全保障意識の変化」を映し出す鏡でもありました。占領期の厳しい規制を経て、再び戦争や防衛を語ることが許された時代に生まれた作品として、今なお私たちに問いかけを残しています。
それは「平和を守るために、私たちはどのように過去を記憶し、未来に備えるべきか」という普遍的な問いでもあるのです。
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