白内障

[No.684] 「私」という男の生涯;石原慎太郎:印象記2

清澤のコメント:石原氏の自伝には、女性遍歴のほかに政治家の裏の顔といった話も随所に出てくる。中川一郎の札幌での自殺が、実は殺害されたのではないか(285ページ)という話や、河本一郎が渡したはずの8億円を私物としたこともその死に関連しているのではなかろうかなどと記している。

さて、眼科医として見逃せないのは、彼の狭隅角緑内障発作と白内障手術の話だ。

「2012年12月30日の朝、目を覚まし寝室を兼ねた書斎から眼下の逗子の入り江を眺め、いつものように海の風向きを確かめようとしたら、右の目が曇って海が見えない。仰天してかかりつけの眼科医に電話したら、兼ねて案じていた私の眼の構造からして緑内障の発作に違いないと。すぐに処置しないと失明につながるといわれて土砂降りの雨の日だったが、タクシーで東京に駆け付け、レーザーで処置してもらい、何とか回復できた。

 その時かねての懸案だった白内障の手術を勧められ、翌年正月に一日入院して両眼の白内障の手術を受け、それまで0.6に落ちていた視力を両眼とも1.5まで回復させられた。しかし後に気功の名人から知らされたが、それが引き金となって間もなく思いがけぬ病に襲われることになったのだった。ーーあれは私の人生での大きな分岐点となった日だったと思う。ーーー」

眼科医諸氏ならば、この記述を訝しくは思わないだろうか?現在の日本の眼科医療環境の中では、白内障の両眼同時手術はあまり普通には行われないものだと思うのだが。忙しく、著名な政治家であったためにそのようにしたのだろうか?この手術がその後の石原氏を不調に導いたというよりは、全身的な体力低下が白内障にも脳梗塞にも関連しているように感じられるのだが。

お答え:

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