大気汚染は神経の病気にも関係するのか ― ALS研究から見えてきた環境リスク ―
私たちは日常生活の中で、交通や工場などから発生する大気汚染に少なからずさらされています。近年、この大気汚染が心臓病や呼吸器疾患だけでなく、脳や神経の病気にも関係するのではないかという研究が増えてきました。2026年に医学雑誌に掲載された社説では、「運動ニューロン疾患(MND)」と呼ばれる神経の病気と大気汚染との関係について、最新研究をもとに解説されています。
運動ニューロン疾患とは、体を動かす神経が徐々に壊れていく病気の総称です。代表的なものが筋萎縮性側索硬化症(ALS)で、手足の筋力低下、話しにくさ、飲み込みにくさ、呼吸の弱まりなどが進行していきます。病気はゆっくり進行し、多くの場合、症状が始まってから2~5年ほどで重い呼吸障害に至ることが知られています。
この病気の原因はまだ完全には分かっていませんが、研究ではおよそ60%が遺伝的要因、残りの40%が環境要因に関連すると考えられています。これまでに指摘されてきた環境要因には、農薬への曝露、激しいスポーツ、頭部外傷、軍隊での任務、そして大気汚染などがあります。
大気汚染とALSの関係については、以前からいくつかの研究がありました。たとえばオランダの研究では、交通量の多い地域に住む人ほどALSの発症率が高いことが報告されています。しかも、その汚染レベルはEUの環境基準を下回る程度でも影響が見られたという点が注目されています。ただしALS自体が比較的まれな病気であるため、研究結果にはばらつきがあり、はっきりした結論が出ていない部分もありました。
今回紹介された研究では、スウェーデンの全国データを用いて、大気汚染とALSとの関係が詳しく調べられました。研究では、2015年から2023年までにALSと診断された1463人を対象とし、年齢や性別をそろえた一般市民7310人と比較しました。さらに、遺伝的影響を考慮するため、患者とその兄弟姉妹を比較する解析も行われています。
研究では、衛星データなどを使って、微小粒子状物質(PM2.5、PM10など)や二酸化窒素(NO₂)といった大気汚染物質の長期曝露量を推定しました。その結果、過去10年間の大気汚染への曝露が多い人ほどALSの発症率が高い傾向が見られました。また、大気汚染に長期間さらされている患者では、病気の進行が早い可能性も示されました。さらにPM10やNO₂への曝露は、死亡率や人工呼吸器の使用と関連している可能性も指摘されています。
ただし、兄弟姉妹を対照にした解析では、この関連がやや弱くなりました。これは遺伝や幼少期の生活環境などが影響している可能性を示しています。つまり、大気汚染だけが原因というよりも、遺伝的体質と環境要因が組み合わさって病気の発症に関わると考えられます。
研究者たちは今後の課題として、どの種類の粒子が特に危険なのかを詳しく調べる必要があると述べています。粒子状物質には、ディーゼル排気に多い炭素粒子、重金属、工業排出物、建設現場の粉じん、さらには森林火災の煙など、さまざまな種類があります。どの物質が神経に強い影響を及ぼすのかはまだ十分に分かっていません。
また、社会的な要因も重要です。生活環境が厳しい地域では、心理的ストレスや医療へのアクセスの違いが重なり、環境毒素の影響が強くなる可能性があります。さらに喫煙や既往症などの健康状態も、病気の発症や進行に影響する可能性があります。
現在、ALSの研究では遺伝子を持つ人を長期間追跡する研究も進んでいます。たとえばPREVENT ALS研究やATLAS研究では、遺伝子変異を持つ人を発症前から観察し、環境要因がどのように関係するのかを調べています。こうした研究が進めば、将来は発症を予防する方法が見つかる可能性もあります。
これまでの研究は主に「発症するかどうか」に注目してきましたが、ALSは進行が非常に速い病気です。そのため今後は、病気の進行や死亡率に影響する環境要因を明らかにすることも重要とされています。もし大気汚染が進行を早める要因であるなら、環境改善は患者の予後にも関係する可能性があります。
このように、大気汚染は単なる環境問題ではなく、人間の神経の健康にも関係する可能性があることが徐々に明らかになってきました。私たちの生活環境が健康に与える影響は、思っている以上に広い範囲に及んでいるのかもしれません。
出典
Holly Elser, Jill Goslinga. Air Pollution and Motor Neuron Disease—Particulate Risk. JAMA Neurology. Published online January 20, 2026. DOI:10.1001/jamaneurol.2025.5378
眼科医としてのコメント
眼科医の立場から見ても、大気汚染は決して他人事ではありません。粒子状物質は結膜炎やドライアイを悪化させることが知られており、さらに近年では網膜や視神経への影響を示す研究も増えています。今回の研究は、環境汚染が神経変性疾患にも関わる可能性を示しており、「空気の質」が全身の健康にとって重要であることを改めて考えさせる内容でした。都市生活の中では完全に避けることは難しいものの、環境政策や生活環境の改善が将来の健康に大きく関係する可能性があります。



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