Terson症候群の「第三の仮説」―急激な静脈圧ショックで起こる眼内出血
Terson(ターソン)症候群とは、くも膜下出血などの脳の出血のあとに、眼の中にも出血が起こる状態を指します。1900年にフランスの眼科医Tersonによって報告されて以来、なぜ脳の出血が眼の出血につながるのかについては長い間議論が続いてきました。
従来の説明には主に二つの説がありました。一つは、頭の中の圧が急に高くなることで網膜の血管が破れてしまうとい「網膜血管破綻説」です。もう一つは、脳の周囲にある血液が視神経の周りを通って眼の中に入り込むという「視神経鞘伝播説」です。しかし現在では後者を支持する証拠は少なく、実際の多くの症例では網膜の表面や内境界膜の下に血液がたまっていることが分かっています。
近年、これら二つの説をつなぐ形で提案されているのが「急激な静脈圧ショック説」とも呼ばれる考え方です。この考え方では、脳の出血が起きた瞬間に頭蓋内圧が急激に上昇することが出発点になります。頭蓋内圧が急に上がると、視神経を取り囲む鞘(さや)の中の圧力も同時に上昇します。すると、眼と脳をつないでいる網膜中心静脈の流れが一時的にせき止められ、網膜の静脈圧が急激に高くなります。
このとき網膜の細い毛細血管には、まるで水道管に急に強い圧力がかかったときのような「圧力ショック」が生じます。特に視神経乳頭の周囲で網膜の表層にある乳頭周囲毛細血管は圧力の影響を受けやすく、その結果として血管が破れて出血が起こると考えられています。
出血した血液は網膜の表面に広がるだけでなく、内境界膜という薄い膜の下に入り込むことがあります。内境界膜は比較的強い膜であるため、血液がその下にたまると、膜が持ち上げられて半球状の血腫を作ります。この状態はOCT(光干渉断層計)で観察すると、ドーム状に盛り上がった出血として見えます。これがTerson症候群に特徴的な「内境界膜下出血」です。
この「静脈圧ショック説」の特徴は、視神経周囲の圧力上昇と網膜血管の破綻を一つの連続した現象として説明できる点にあります。つまり、視神経鞘の圧力変化が網膜の静脈圧を高め、その結果として網膜の血管が破れるという理解です。この考え方によって、従来の二つの説は対立するものではなく、むしろ一つの流れの中で説明できるようになりました。
神経眼科の立場から見ると、この現象はうっ血乳頭の急性型とも似た側面を持っています。頭蓋内圧の上昇が視神経周囲の循環に影響を与え、その結果として網膜の血流にも変化が生じるからです。
このようにTerson症候群は、脳と眼の循環が密接につながっていることを示す興味深い例と言えます。脳の病気が眼の中の出血として現れるという事実は、眼科と神経学が深く関わっていることを示す典型的な現象でもあります。
関連論文
Terson A.
De l’hémorragie dans le corps vitré au cours de l’hémorragie cérébrale.
Clin Ophthalmol. 1900.
Hayreh SS.
Pathogenesis of Terson syndrome.
Survey of Ophthalmology.
Friedman SM, Margo CE.
Sub–internal limiting membrane hemorrhage.
American Journal of Ophthalmology. 1997.
Hanai K et al.
Hemorrhagic macular cysts in Terson syndrome.
Ophthalmology Retina. 2022.



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