実家の庭の山椒に葉が出ており、豆腐につけてみたら特有な香りがいい感じでした。「庭の山椒の木」で始まる民謡があったと思い出して調べてみました。
歌詞は、1185年壇ノ浦の戦いで敗れ、この地に逃れた平家残党の中の鶴富姫と、源氏の追討使で、屋島の戦いの折りに扇の的を射抜いた那須与一の実弟、那須大八郎宗久との伝説を唄っている。那須大八と鶴富姫は、現在の上椎葉部落の鶴富屋敷で恋仲となった。大八は武士を捨てて共に暮らそうとするが、鎌倉の大将源頼朝から帰還の通達を受け、涙ながらにこの地を去った。この時、鶴富姫は大八の子どもを身ごもっていたという。有名な大八と鶴富姫との悲恋物語である。ただ、遺児が女子であったため那須姓を継がせた。当地に那須姓が多いのはそのためである。
現在残っている節は、椎葉村出身の民謡歌手、椎葉幸之助の「幸之助節」、長友勝美が一般受けするように改作した「長友節」、そして地元に残る元唄の三種類である。南国の民謡らしい陽旋法が、親しみやすさを醸し出している。
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◎ 庭の山椒の木:というのは、鶴富姫の家の山椒の木に鈴をかけ 、その音がしたら家を出てきてデートしましょうという歌だったのだそうです。
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また、別の記事では、那須大八郎宗久についてhttp://e.yatsushiro.jp/es-izumi8/Taro-nasukeotoko.pdf;次のように記述している。
那須家の男三人衆
ここは鎌倉。殿様である源頼朝の前 に正座をして床に頭と両手をピッタリとつけているのは、平家を全滅させた壇ノ浦の戦いで平家の舟の扇を弓で射たあの那須 与一です。その前に目をつり上げて仁王立ちしている殿様の源頼朝は、頭から湯気が出るくらいカンカンに怒っています。
「おい!与一、お前の弟である那須大八郎宗久に九州の山奥に逃げ込んだ平家の落人を征伐しろと 命令してから、すでに2年が過ぎておる。平家を征伐したとは聞いたが、大八郎は未だ鎌倉に戻ってはおらん。一体どうなっておるのじゃ!。」
「ははあ、それが、そのう・・・ 。実は私にも全く連絡がない状態でて・・。」
「なんじゃと!さては大八郎め、裏切りおったか?。」
「そんなはずはございません、お 殿様、すぐに大八郎へ鎌倉に戻ってくる命令の手紙を出します。 その入れ替えとして私の息子である小太郎宗治をすぐに送り込みますので 、どうかご勘弁を!。」と言って、与一は殿様に忠誠を誓ったのでした。
初めに那須与一宗高が追討に向かうよう命令されたのですが、病気にかかってしまい代わって弟の那須大八郎宗久が追討の命令を受けたのです。命令により椎葉 に向かった大八郎は、険しい道を越え、やっとのことで隠れ住ん でいた落人を発見しました。ところが、かつての華やかさをよそ に、ひっそりと農業をやりなが
ら暮らす平家の姿を見て可愛そうになり追討するのを止めました。
そして殿様には全員殺したと報告をしたのでした。普通ならすぐに鎌倉へ戻るところですが、何と大八郎はそのまま椎葉村に家を建ててこの地に住みました。そればかりか平家の守り神である厳島神社を建てたり、農業の仕方を 教えるなど彼らを助け、協力し合いながら一緒に暮らしました。 やがて、平清盛の子孫である鶴富姫と出会い、いつしか姫と大八 郎には恋のロマンスが芽生えました。その様子を歌った「ひえつき節」の歌の1番には、
庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて ヨーオー ホイ
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ ヨーオー ホイ
駒に水くりょと 言うて出ましょヨ
鶴富姫の家の山椒の木に鈴をかけ 、その音がしたら家を出てきてデートしましょうという歌です。暫くすると二人は結婚をして、姫のお腹には子どもができました。
そこに突然、那須与一からの手紙が届いたのです。手紙には、「那須大八郎宗久、殿の命令である、すぐに兵をまとめて鎌倉に戻れ!」という短い文章が書かれていたの です。手紙を見た大八郎は顔色が一瞬に青ざめ、へたへたと、その場に座り込んでしまいました。
殿の命令とあらば、絶対に守らなければなりません。
おまや平家の 公達(きんだち)ながれ ヨーオー ホイ
おどま追討の那須の末ヨ
那須の大八(だいはち)鶴富(つるとみ)捨てて ヨーオー ホイ
椎葉(しいば)立つときゃ目に涙ヨ
その様子が「ひえつき節」の2番 に歌われたように大八郎は、鎌倉に源氏の敵である平家の姫を連 れて帰るわけにはいきません。
姫と別れる時、有名な刀である銘刀<天国丸>を与えて、「生まれた子が男子なら、私の故郷下野(しもつけ)の国へ、女ならこの地で育てよ。」
と言い残し、後ろ髪を引かれる思 いで泣く泣く椎葉を離れ、鎌倉に戻りました。生まれたのはかわ いい女の子。鶴富姫は大八郎のことを思いながら、とても可愛がって育てました。後にお婿さんを迎え、那須下野守(しもつけのもり)と愛する人の名前を名乗らせました。
その頃、もう一つ五家荘でも大変なことが起きていたのです。
何ということでしょう。父の命令 を受けて五家荘に入ったはずの小太郎までもが、突然連絡が取れなくなったのです。小太郎は、平家を全滅させようと五家荘の山奥へと進んでいました。すると何の因縁でしょうか、小太郎の目の前に現れたのは、名前を鬼山御前(おにやまごぜん)と名前を変え た玉虫前(たまむしのまえ)です。屋島の合戦で平家の舟の扇に 弓を当ててみよと声高らかに言った平家ナンバーワンの美女。鬼山御前は、弟と二人生き延びて五家荘の手前の岩奥地区に住んで いたのです。何としても五家荘に行かせてはならないと色んな方法で小太郎を引き留めにかかります。そうしている間に若い小太郎は、鬼山御前の美しさと優しさに引き込まれ、二人は恋に落ち て結婚をしました。そのとき小太郎は、岩奥地区でいつまでも一緒に暮らそうと決めたのでした。
一方、年を取っている上に病気がちだった那須与一ですが、「ううん、一度ならずも二度も失敗するとは・・。かくなる上は、私めが五家荘に出向き、平家の残党どもを必ず討ち取って参ります。」
といって鎌倉を出発したのでした 。長旅の疲れもあって、やっとのことで岩奥に到着した与一は、 目の前で息子の小太郎と鬼山御前が仲むつまじく暮らしている姿を見たとたん、「お主らは・・。」といったと同時に、とうとうその 場に倒れてしまいました。そんな与一を鬼山御前は、自分の父以上に一生懸命に介抱し続けました。与一はその優しさに触れ死ぬ直前に涙を一筋ぽろっと流して、
鬼山御前に向かって「ありがとう。」といって息を引き取りました。
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