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[No.29] 共感にあらがえ:個人が意識すべき四つの視点というエッセーがありました。

清澤のコメント:最近は無言の圧力がとても強まっています。典型的にはマスクの強要。効果があると考え、それに従わないのは悪と信じている人が多すぎます。勝手に自分が行うのは良いのですが、それ以外が間違いというのは偏狭ともいえそうです。実際には、人の流れに乗って流されている方が楽なのですけれど。気になったエッセーでしたから、勝手に抄出して引用して見ます。もともとこの著者は、紛争問題解決活動家という熱き血を持つおせっかいな人の様でもありますけれど。
ーーーー抄出、引用ーーーー
<13>「共感」に振り回されないためにはどうすれば? 個人が意識すべき四つの視点
ESSAY 2021.10.15 永井陽右 紛争解決活動家
1991年、神奈川県生まれ。NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事。最終回となる今回のテーマは、我々はいま「共感」とどう向き合えば良いのか。永井さんは四つのポイント。

◇◆◇

共感の問題も考察を重ね、単著『共感という病』(かんき出版)がこの7月に発売された。

本連載では、最初に共感が持つ負の側面について指摘をしていき、その後様々な識者との対話を通じて、共感にのみ込まれる現代においてどのように共感と向き合い、どのように社会に働きかけるべきかを考えてきた。

最終回は、社会ではなく個人という点について触れようと考えている。社会にいる私たち一人ひとりといった個人については実のところあまり触れてこなかったからだ。

共感というものが良くも悪くも極めて大きな影響を持っているこの社会で、個々人はどのようなことを意識する必要があるのか。

理性とは、人権を諦めないための錨
理性の錨(いかり)を持つということ。基本的に共感の問題とは、人々の感情が極めて限定的な範囲のみを照らすスポットライト的な性質を持つ。他者から共感されにくい人は、支援が必要な状況にあっても社会から取り残されてしまう。公的な支援を期待できず、なおかつ社会からも共感されない・共感されにくい人をなおざりにしないためにも人権や理性が必要なのである。

人権の重要性だけを伝えても仕方がない。世界はそんな奇麗なものじゃない、私自身その通りと思うところもある。しかし、それでも、人権なんてものは存在しない、とはならない。人権そのものの普遍性が失われるということではないからだ。
理性とは、人権を諦めないための錨だ。まさに、波にあらがう錨のようなイメージ。本能や直感を変えることは難しい。だからこそ、そのことを認めたうえで、流されないための理性的な錨が必要なのだ。

この理性の錨は、他者を傷つける機会を減らすことにもつながる。共感の暴走が、他者の攻撃に発展することはままある。ジェノサイドのような圧倒的な暴力しかり、時に人を自死にまで追い込むSNSなどでの容赦のないバッシングや中傷しかり。

かつてルワンダのジェノサイド記念館を訪れた際、無数の遺体とともに「もし、あなたが私のことを知っていて、あなた自身もあなたのことを知っていたら、あなたは私を殺したりしないでしょう」という言葉が紹介されていた。ジェノサイドからおよそ30年以上が経った今、その意味を改めてかみしめている。

物事は多元的 白黒の明確化にこだわらない
2点目は、無理に白黒はっきりしなくていいということだ。近年はSNSの発展により、誰もが自由に意見を発信にするようになった。それに伴い、議論の流れで立場の表明を求められる機会も増えている。良くも悪くも賛成か反対かということを突き付けられる時代になってしまった。しかしながら、物事は多元的であり、思考の輪郭線が常にぼやけていたほうが、より良い社会の創造に貢献できると私は考える。また、白黒を無理にはっきりさせる必要はないスタンス。あくまでも自分を通して考えてみる。それこそが対立や分断を乗り越える一つの鍵なのだ。
また、意見なんて変えていい。その時々の環境や思考によって変わってしかるべきものだろう。

他者の評価は気にしない 必要なのは自己肯定
3点目は、誰かに共感されなくても、誰かとつながっていなくても、基本的に全く問題ないと考えることだ。「共感中毒」とでも言うような状態に陥り、苦しむ人は決して少なくない。そもそも、自分は自分であり、それ以上でも以下でもない。自分の存在は、誰かに肯定されなければ存在しないといったものでは決してない。存在価値なんて心底どうでもいいし、気になるなら好きに自分で決めてしまえばいい。答えはないのだから。

感情と理性を折り合わせ、試行錯誤を重ねる
最後の4点目、良い社会を創ることとは、以上の3点を踏まえつつ試行錯誤していくことなのだと思う。感情に任せるのではなく、共感をうまく使いながら同時に理性も働かせる。空気に流されるままではなく、自身の感情の手綱をしっかりと握り、社会から取り残されている人がいないか、意見の異なる相手との対立や分断をどう乗り越えることができるか、などを常々考え、行動するということだ。

テロリストの更生や紛争解決に現場レベルで取り組んできた身として思うのは、情念や共感に根差した思考や行動だけで問題が解決しないのであれば、感情と理性をどのように組み合わせていくか、また理性はそこでどう機能しうるのか、といったことを繰り返し考えていくほかないだろう。

共感のみならず、「権利」の本質や「私」、そして道徳や倫理についてさらに思考を深めていきたいとも思う。
ーーー引用終了ですーーーー
出典:https://www.asahi.com/and/article/20211015/410030231/?ref=and_mail_m&utm_source=newsletter211024&utm_medium=email&spMailingID=5089342&spUserID=MTAxNDUzMjg2OTczS0&spJobID=1580247946&spReportId=MTU4MDI0Nzk0NgS2

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