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[No.417] カタロニア讃歌とパブロ・カザルスの鳥の歌

清澤のコメント:ウクライナの惨状を見て、以前読んだカタロニア讃歌を思い出しました。残念ながらこの本も、先月行った旧院長室の断捨離で廃棄しました。ウィキペディアを見ると、カタロニア讃歌』(原題 Homage to Catalonia)は、英国の文学者ジョージ・オーウェルによるスペイン内戦ルポルタージュ1936年12月から1937年6月までの間内戦に参加したオーウェルの体験を元に、一人称で描かれているものです。次の曲はカザルスの弾く鳥の歌。

 イギリスのジャーナリストで社会派エッセイストであったオーウェルは、スペイン内戦の勃発のニュースを耳にして、ファシストの反乱軍と戦うために、スペインのカタルーニャ地方へと赴き義勇軍に志願する。しかし、そこで体験したのは、ロマンティックな英雄譚とは程遠い、退屈で物資に事欠く悲惨で汚臭にまみれた塹壕戦であった。

しかし、数ヶ月ぶりに休暇で前線からバルセロナに戻ってきたオーウェルが目にしたものは、本来一体となってファシストに立ち向かうべき後方の人民政府(共和国政府)内で繰り広げられる愚かな権力争いであった。ソ連のコミンテルンの支持の元、政府内の主導権を握った共産党は、政府内の他の政党をトロツキストと決め付けて敵視し、彼らへの締め付け弾圧を強化していた。

休暇を終え、再び前線に戻ったオーウェルであったが、負傷によりバルセロナへと後送される。しかし、そこで彼を待っていたものは、所属していた部隊POUM(マルクス主義統一労働者党)が人民政府により非合法化され、共産党とPOUMやアナーキストとの間で繰り広げられる市街戦と政府による逮捕・投獄などの恐怖政治であった。オーウェル自身の上にも、その手が及ぼうとするが、、、

  ーーー重複もありますが、当時の記事採録ーーーー

2010年11月22日

1834 ”カタロニア讃歌”を読みました。

八重洲地下街でカタロニア讃歌という古本を見つけて買いました。
古い本で現代思潮社、鈴木隆・山内明訳1966年初版1972年17刷というものです。(購入価格300円)いかに示すごとく、多くの和訳が出てますが、これがその表紙です。イタリアのムッソリーニやドイツのヒットラーを真似て政権を奪取しようとしたファシストのフランコ将軍はスペインで反乱を起こします。これに対して市民軍が編成され、ファシストに立ち向かおうとして内戦が起きます。イギリス人のオーウェルは新聞記事でも書こうかとその中にとびこみますが、義勇軍に加わるしか手がなかったということで、バルセロナの義勇軍の兵営に加わります。

しかし、銃は40年前のボロボロな物しかなく、制服も揃ったものはないという寄せ集め、兵隊も市民の口減らしのために家族に連れられてきた15歳程度の子供たちが多数混じったという、統制も何もない軍隊でした。その中で彼はやがて伍長になり、100人隊の半分の指揮をまかされるのですが、問題は寒さとぬかるみと薪の不足とであったという所から始まります。

この市民軍は、共産主義的な色彩を帯びた集団であったので、ソ連共産党に従う人々を中心にして、他をトロツキストと呼ぶ内部での粛清も始まります。ーーー

讃歌の原題はオマージュだったのですね。雪山讃歌の讃歌というよりも悲しみを込めた追悼文といった趣です。

偶然に見つけた古い本ですが、一度は目を通しておきたい本であり、良いところで出合うことができました。

カタロニア讃歌を『ウィキペディア(Wikipedia)』で見て見ましょう。

ーーー引用ーーーー
『カタロニア讃歌』(カタロニアさんか、原題 Homage to Catalonia)は英国の文学者ジョージ・オーウェルによるスペイン内戦のルポルタージュ。1936年12月から1937年6月までの間内戦に参加したオーウェルの体験を元に、彼による一人称で描かれている。

概要 [編集]
オーウェル自身のスペイン内戦での人民戦線側の義勇軍への従軍体験を描いたもので、フランシスコ・フランコ将軍指揮下の反乱軍(ファシスト軍)との戦いの模様や、バルセロナで起きた人民戦線内部での内紛・市街戦などを自らの経験を元に語っている。戦争の現実を飾らない文体で克明に描写し、また人民戦線側を内紛へと導いたスターリン主義と非人間的な政党政治への強烈な批判が語られている。同時に、そんな中でも人間味を失わないスペイン人とカタロニア人に対する、オーウェルの愛情と尊敬も語られている。

この体験は社会主義者でありヒューマニストであったオーウェルに大きな影響を及ぼし、オーウェルがより人間の顔をもった社会主義を志向し、非人間的で全体主義的なスターリン主義やソ連への批判を行うようになるきっかけとなり、後のスターリン批判の寓話である『動物農場』や全体主義国家への批判であるSF小説『1984年』を執筆する動機ともなった。

また、本書はスターリンや共産党への批判を含むため、当時オーウェルの属した左翼・リベラルの知識人たちからは非難され、高い評価を得られなかったが、彼の死後にその評価は高まった。20世紀後半のジャーナリズムに大きな影響を与え、現在では、ルポルタージュ文学の金字塔として高く評価されている。

ーーー引用終了ーーー
ブリジストン美術館の所在地は日本橋ないし京橋ですが、東京駅の真東で、東京駅八重洲地下街を終点まで行き、地上に出ますと目の前です。ここで、パリの絵の展覧会を見た帰り道です。

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