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清澤のコメント:日経新聞によるとエドモンド・ドゥ・ヴァール著「琥珀の眼の兎」に登場した日本の根付展がニューヨークで開かれているそうです。日本ならば必ず見に行くところなのですけれど。この原著作はこの数年で私の最も印象に残った作品です。上の記事をご覧ください。(消えないうちに採録しておきます)
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3018 『琥珀の眼の兎』エドマンド・ドゥ・ヴァール(早川書房)
私にとっては「眼」と言う文字が表題に入った本と言うことで購入してみました。
日本で陶芸を学ぶエドマンドは、晩年を東京で暮らしていた大叔父のイニャスから多数の根付のコレクションを遺贈されます。そして264個の美しい根付に魅了され、何年もかけてその来歴を調べる事になる。
明治維新の頃のフランスでは、ジャポニズムが芸術の世界でもてはやされていた。ロシアのオデッサに起源を持つユダヤ人の大穀物商家の一員であり、ガゼットに芸術に関する評論を書く曽祖叔父シャルル・エフルッシは愛人との逢瀬を楽しみながら、日本から輸入された根付のコレクションを入手した。
大富豪エフルッシ家の一員であったシャルルは、華やかな19世紀のフランス・パリで、印象派など多くの芸術家らのパトロンとなり、ルノワールの絵画にもそっと表れている。しかし、新興のユダヤ財閥に対する国民の反感は強まってゆき、芸術家にも反ユダヤ的な人々は増えていった。その時代を代表する事件がドレフィウス事件だったのだが、フランスにおける反ユダヤの動きは第一次大戦よりも遥か前にすでに芽生えていた。
その様な世の動きとは関係なく、隆盛を誇るエフルッシ家にはウイーンにも一族が居た。根付のコレクションは結婚祝いとしてウィーンに暮らす従兄弟へと贈られた。それらは、その後のユダヤ人迫害と、一族の没落の歴史を共にすることになると言うのだが、……
人名、地名、事件、年号などが交錯し、訳文の為もあってか最初はとりつきにくかったですが、半分辺りからずっと読み進めやすくなってきました。
反ユダヤ人的な思考は決してナチスドイツに始まったわけではなく、第二次大戦の終戦で終わったわけでもなかった様です。根付と言う日本の文化よりもパリ、ウイーンにおけるユダヤ人の歴史と言う感じの本でした。
一族の没落と言う重い話題ではありますが、パリ印象派の画家など数年来興味の対象としてきた人々の歴史の裏面にも入るないようです。舞台裏が見える様な良い本です。さすがにその年のイギリスでのベストセラーです。
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てっきりこの一族はバルト海沿岸、パリ、そしてウイーンで成功した一族だったと思っていました。ウクライナから始まった一族だったのですね。
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米国「琥珀の眼の兎」展 「根付」が伝える激動の歴史
ウクライナ・ユダヤ人と日本むすぶ
ウクライナ出身のユダヤ人一族が所蔵していた日本の「根付」コレクションから、一族の激動の歴史を紹介する「琥珀(こはく)の眼の兎(うさぎ)」展が米ニューヨークのユダヤ博物館で開かれている。現地から美術評論家の神谷幸江氏がリポートする。
ウクライナと日本が掌(てのひら)に収まる根付で結びつく同展は、ユダヤ系のエフルッシ家が有した美術品の波乱の旅路をたどり、知られざる歴史に光を当てる。一族の末裔(まつえい)エドマンド・ドゥ・ヴァールが同名の著作(2011年に邦訳出版)で追ったファミリーヒストリーを背景に、物言わぬ根付たちは震撼(しんかん)とする史実を静かに突きつける。
ロシア帝国時代、港街オデッサで穀物を商っていたエフルッシ家は、ウクライナの黒土に実る小麦を買付け、黒海を渡って輸出し、19世紀半ばには世界一の穀物業者となった。その後パリとウィーンで銀行を起こし、ロスチャイルド家に並ぶ莫大な富と影響力を築く。
根付と繋(つな)がるのはパリに移った3代目三男のシャルル。美術雑誌の編集長を務め同時代美術のパトロン、コレクターだった彼は、幕末の日本で手放された美術工芸品が続々と海を渡り、欧州がジャポニズムに陶酔していた1870年代、264点の根付を手に入れる。華やかな彼のサロンに集う印象派の画家や物書きらに根付は大いに愛(め)でられた。
しかしその蜜月は長く続かない。94年ユダヤ人大尉ドレフュスに虚偽の容疑がかけられた事件を契機に、土地に縁のないユダヤ人が富を独占していると嫌悪が噴出、世論は真二つに割れる。小説家ゾラは擁護を訴え、画家ルノワールやドガはユダヤ人への敵意を隠さなかった。ホロコースト以前から根深い偏見が始まり蓄積されてきたことをこの事件は伝える。
新世紀を前に、シャルルは在ウィーンの従兄弟(いとこ)ヴィクトル(ドゥ・ヴァールの曽祖父)の結婚祝いに根付コレクションを贈る。精巧な小さきフィギュアは今度は夫妻の子供達に愛された。そして第2次世界大戦前夜、ウィーンも反ユダヤ主義に揺れ、1938年ナチスドイツ軍がオーストリアを併合するとたちまち悲劇を迎える。宮殿のような邸宅もそれを飾る絵画も資産すべてが接収され、一家は国外へ追われた。
では根付はどこへ? ここで奇跡のような救出劇が起きた。古参のメイドがエプロンに隠して運び出し、彼女のマットレスの下で略奪と戦火を逃れたのだ。平和な生活の記憶を断片でも奪われまいとする抵抗に守られた根付は、それで遊んでいた子供の一人、イギー(ドゥ・ヴァールの大叔父)に託され、日本への彼の赴任に伴い戦後間も無く再び海を渡った。東京で終生を共にしたパートナーのジローと穏やかに暮らしたイギーの元を、陶芸と語学のための留学中、ドゥ・ヴァールは足繁(しげ)く訪れた。現在根付は彼に受け継がれている。
戦争と差別に翻弄された一族の悲劇を目撃したコレクションが、今回、時空を超えて再び集った。展示構成を担ったのはニューヨーク近代美術館の増築、マンハッタン西側の線路跡を公園化したハイラインなど注目の文化施設を手がける建築家チーム、ディラー・スコフィデオ+レンフロだ。重厚な飾り棚に家族写真や根付が並び、フラゴナールやモロー、印象派らの絵画が段掛けされ壁面を埋め、一族の邸宅の趣を創出した。コロナの影響で本展は3度の延期を余儀なくされ、世界の美術館に散在する一族ゆかりの名画の中には借用が叶(かな)わなかった作品もある。不在の絵画はあえてセピア色の複製が掛けられ、それが喪失の記憶を一層際立たせている。(後略)ーーーー5月15日まで。
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