自由が丘 清澤眼科について

[No.226] 68 歳での再開業です: 医科歯科大学同門会だよりから抜粋

実家の物置を片付けたら、昔の広南病院2階の眼科で撮ったと思われる写真が出てきました。向かって左端が本文末尾に登場する桑島治三郎先生。隣が私。右端は日野てる子看護師です。昭和55年ころ。

謹賀新年:

東京医科歯科大学眼科学教室同門会会員 各位:
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
同門会便り2022年1月号から採録です。ご笑覧ください。新規開院後2か月の診療を終えることが出来ました。

◇ 自由が丘 清澤眼科医院 清澤源弘先生より近況報告をいただきました。
68 歳での再開業です
清澤 源弘
東京医科歯科大学眼科同門の皆様お元気でお過ごしでしょうか?
10 月の東京都眼科医会報には、眼科開業講習会のおしらせという前田利根先生の記事が出ています。開業を目指す勤務医の先生方への助言という内容です。これから開業も考えようかとお考えの諸氏に多少の興味が持てるだろうと思われる私の経験を紹介してみます。
私はこの 2 月末に江東区で 15 年間運営してきた医療法人深志清流会の理事長を降りて平理事になりました。その 6 か月後には理事も院長職も降りました。毎日患者さんを診療し、清澤眼科医院通信を書くという生活を続けるつもりでしたが、院長を辞すると外来の時間は大きく減らされます。積み立ててきた院長退職金を受領するには、勤務時間と給与が半分以下になることが医療法人の税務処理上必要だからです。開業医は医院運営中から、退職金を生命保険で積み立てます。
自分で積み立てたものを受け取るのにも、制約があるのです。
さて、こうして医療法人の理事長兼院長を離れて見ましたら、月曜の朝に行くところが無いということに愕然としました。そこで、高齢離職者の求職活動という場面に直面です。何件かの医療機関に相談をしました。その結果はなかなか渋い物でした。そのあと、自分よりも高齢の眼科の先輩に相談しました。彼の紹介してくれたのはベテランの機械販売業者さんでした。この方の案件では、自宅からは通えない地方都市からのお誘いが何件かあったのですが、それをお受けするのは躊躇されました。近くの医療機関からは職のオファーはまずないです。
そのあと紹介されたのが今回の診療所です。其処は、コンタクトレンズ処方中心の診療所でした。都市再開発で立ち退きが必要で、少し離れた自社ビルで眼科をやってみないか?というお誘いでした。ここなら、今まで見てきた神経眼科の患者さんも少しは見られそうですし、ボトックス施注もできそうです。形式的には廃業後の新規開業です。古い機械を最大限残して移転し、OCT とハンフリー視野計のみ新規に入れました。
昨年の同門会便りでの「コロナ下で感染を防ぐ為にどのように医院を運営しているか?」との企画には普通にお答えしましたが、水面下では格闘が進んでいたとお察しください。
さて、フォークト小柳原田病の発見者の小柳教授は、終戦後東北大学教授を退官され、仙台市内で眼科医院を懐中電灯一本で静かに開業されたと伺っております。私もその故事に習い、従業員も 2 人程度で、ささやかな診療所を始めたいと思います。小柳教授の「われわれ医学に携わる者の場合には患者が常に新しい問題を提起してくれる教師だから、その問題を解いて、清書した立派な答案を呈出するか、それとも落書きでごまかして済ませるか、それは、君自身が決める事だ。」と、弟子に教えたと私の神経眼科の師の一人である桑島先生は私に伝えられました。「懐中電灯一本の覚悟こそ嘉し」と心に刻み、新たな道に向かいたいと思います。
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