東京都医師会雑誌1月号が届きました。新春随想集に江戸川区の田中寧先生がカラーユニバーサルデザインの実践を目指してという記事を投稿しておいでです。正常色覚というものは、生物の発展過程において現代人の多数が現在持つようになっている一つの色覚特性であって、いわゆる色弱や色盲は決して病的なものではないというお話(本文末尾参照)がその背後には有ります。
ーーーー記事紹介ーーーーー
概要は:鉄道・バス・船舶・消防・自衛隊・警察などで現在も色覚の制限は残っている。現代社会の情勢は「多様性重視」となってきた。
1,色覚異常に対する誤解、偏見のない社会
2,色覚異常を有する人に、自分の色覚特性に応じた生き方が保証されている社会。
3,色覚異常の有無に関係なく、生活を営む上で色に関する支障がない社会。
これらを目指す「カラーユニバーサルデザイン」という考え方がある。すべての人が快適で安全に暮らせるような街つくり、サービスなどににあらかじめ配慮するという考え方。
先天色覚異常は日本人男性の20人に一人(5%)、女性の約500人に一人(0.2%)、保因者は女性の約10人に一人。
鉄道会社の採用試験に色覚検査が導入される契機となった1975年スウェーデンの衝突事故のお話。引用されている論文の要旨まで戻ってみました。
田中先生は、「知恵と工夫、経験を生かして就職制限のない社会作り」を目指したいといっています。
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Lagerlunda列車衝突事故と色覚検査の導入
J.D.モロン、DPhil、FRS、1およびL.R.カボニウス、MSc2 https://www.surveyophthalmol.com/article/S0039-6257(11)00212-8/fulltext
英国ケンブリッジ大学実験心理学部。および 2化学生物学科工学、チャルマース大学、ヨーテボリ、スウェーデン
概要:
視力検査の歴史では、色覚異常の職業スクリーニングの起源は、1875年11月14日から15日の夜にスウェーデンで発生した致命的な鉄道事故に起因しています。事故の現場は男爵ラガーフェルトの地所 Stergot landでした。重要なイベントはLinkoping(北行きと南行きの急行の通常の通過場所)とBankeberg(通過場所が数分前に再割り当てされた小さな駅)で起きました。最初にバンケベルグに到着したとき、北行きの急行はほとんど停止しましたが、駅長のウノ・ビョルケルンドとラインマンのオスカー・ヨハンソンからの一連の信号にもかかわらず、ラゲルルンダに向かって前方に不可解に加速しました。事故の直後、眼科医のフリチオフ・ホルムグレンは、北行きの急行のエンジニアであるアンダーソン、または彼の給油者であるラーソンは色覚異常であったと示唆しました。どちらもテストの時まで生き残ってはいませんでした。その後の裁判の記録やその他のアーカイブ資料を使用して、ラゲルルンダ事件における色覚異常の役割を再検討し、事故は色覚異常だけに起因するものではないと結論付けました。それでも、この事故は間違いなく、ヨーロッパと北米の鉄道による色覚検査の導入において中心的な役割を果たしました。鉄道経営者に色覚異常の従業員の普遍的なスクリーニングを導入するように説得するために、ホルムグレンは劇的なクーデターと恥知らずな策略(a dramatic coup de theatre and some unashamed subterfuge?)を使用しました。 (Surv Ophthalmol 57:178–194、2012)
https://www.kiyosawa.or.jp/pediatric/66951.html/
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