その昔見たことのあった松竹の映画ですが、本日風邪をひいて休診としたため、もう2度見直しました。この医院の場所は、国鉄の通勤電車が走っていて、駅構内には列車の操車場もある駅、戦災で焼けていて、医院を再開して一周年という。付近には砂利運搬の川船が入れる川幅の川がある。かけ合わせてみると、蒲田車庫というものがある。所在地:新蒲田一丁目24番1号、交通:JR京浜東北線、東急池上線、東急多摩川線蒲田駅(西口)下車10分。この車庫は、大正12年(1923年)に品川車庫蒲田分庫として創設され、翌年蒲田電車区として独立。現在の規模は約51,000平方メートル、線路は27線で、線路の総延長は6キロメートルになる。;というから、蒲田とみてよさそう。羽田空港にも近く、私も仙台から東京に出てきたころに住んだ地域。最初はアマゾンで400円で見ましたが、予告編を探したら、ユーユー部に無料で出ていました。疎開から帰ってきたとか、19年前の帝王切開の未払い手術料が240円だったとかといういう表現が微妙です。終戦を挟み、日本の物価は1000倍程度に変わっていたはずです。
ストーリー
戦争で一人息子を失った三雲医院の八春先生は甥の伍助を院長に迎え、戦後再出発してから丸一年の記念日、伍助はこの日看護婦の瀧さんたちと温泉へ出かけて行き、三雲医院は「本日休診」の札を掲げた。八春先生はこの機会にゆっくり昼寝でもと思っていた矢先、婆やのお京の息子勇作が例の発作を起こしたという。勇作は永い軍隊生活の悪夢にまだ折々なやまされ、八春先生はそのたびに部隊長となって号令、部下の気を鎮めてやらなければならぬ。勇作が落着いたら、こんどは警察の松木ポリスが大阪から知り合いを頼って上京したばかりで昨夜おそく暴漢におそわれたあげく持物さえうばわれた悠子という娘をつれて来た。折りから十八年前帝王切開で母子共八春先生に助けられた湯川三千代が来て、悠子に同情してその家へ連れて帰った。が、八春先生はそれでも暇にならず、砂礫船の船頭のお産あり、町のヤクザ加吉が指をつめるのに麻酔を打ってくれとやって来たのに、こんこんと意見もしてやらねばならず、悠子を襲った暴漢の連れの女が留置場で仮病を起こし、兵隊服の男が盲腸患者をかつぎ込んで来て手術をしろという。かと思うとまたお産があるという風で、「休診日」は八春先生には大変多忙な一日であった。が、悠子は三千代の息子春三の世話で会社につとめ、加吉はやくざから足を洗って恋人のお町という飲み屋の女と世帯を持とうと考えた。しかしお町が金のため成金の蓑島の自由になったときいて、その蓑島を脅迫に行き、お町はお町で蓑島の子を流産して八春先生のところへかつぎ込まれた。兵隊服の男は、治療費が払えず窓から逃げ出すし、加吉はまたまた賭博であげられた。お町は一時あぶなかったが、しかしどうやら持ち直した。八春先生をとり巻く周囲には、いつも色々な人生問題がうずをまいていたが、しかし先生はそれでも希望を失わず、勇作の号令で夜空を横切って行く雁に向かって敬礼もするのだった。
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