自由が丘の「自由」って何ぞや? 都内メジャー地名の由来を調べてみた:から一部を引用
清澤のコメント:此処には「自由が丘」のみ引用します。意外に新しい地名です。都市再開発も確定し、これからも街は変貌を遂げることでしょう。全国ブランドばかりにならずに、自由が丘らしさも残ってくれるとよいと思います。ちなみに自由が丘清澤眼科は本文中に現れる「サンセットアレイ」(夕暮れ通り)に有ります。来週から隣に越してくるみずほ信託銀行の内外装も終わりました。もしかすると、自由が丘の都市再開発に関連して、今まで「みずほ信託銀行」のあったビルには駅前の「みずほ銀行」が移って入るのかもしれません。当医院も昨年11月の開業以来、日曜を代診とし、火曜日と水曜日を休診日としてまいりましたが、今後は火曜日にも診療できる体制を検討し始めます。
みずほ信託銀行自由が丘支店ではみずほ銀行のキャッシュディスペンサーが使えるようです。
数日前の入り口の様子です。この後で入り口がきれいに整いました。
東京には独特な地名が多い?
東京には有名なものからマイナーなものまでさまざまな地名があります。皆さんもふと「この街はなぜこんな名前なのだろう?」と思うことがありませんか? 上京者の筆者は東京に住み始めたころ、成増(なります。板橋区)や二子玉川(ふたこたまがわ。世田谷区)などの名前を目にして、ずいぶん面白い地名だなと感じました。 ということで今回は、都民でも意外と知らない地名の由来を四つご紹介します。
1.自由が丘
まずご紹介するのは、目黒区にある「自由が丘(じゆうがおか)」です。 自由が丘はブティックやカフェなどのショップが並ぶ、都内随一のおしゃれタウンとして知られています。高級住宅街も立ち並び、マリ・クレール通り、メープルストリート通り、サンセトアレイ通りなどといったように、街の通りの名前も独特です。 そんな自由が丘の名前は、大根畑の丘の上に私立学校が建設されたことに由来します。それまで畑と水田と林に覆われた田園地帯であった土地に、にわかに商店や住宅が建ち始め、その後 「自由ヶ丘学園」 が設立されました。自由教育を旗印に手塚岸衛が創立した学校の名前から、この土地は自由が丘と名付けられたのです。 今となっては街のイメージに合った名前ですが、意外にも由来は学校でした。自由という言葉の響きはいつ聞いてもすがすがしく感じます。
追記(ネット記事から引用):東京市となる前、この付近は東京府荏原郡碑衾町大字衾といった。元々は衾村で、明治22年に碑文谷村と合併して碑衾村となり、のちに町に昇格したものだ。さらに、昭和7年の東京市拡張の際、目黒町と合併して目黒区となった。
この衾というユニークな地名の由来は定かではない。民間信仰の神様の名前に由来するとも、麩(ふすま)といわれる馬の飼料の産地だったともさる。また、衾とは掛け布団のことなので、この付近の丘陵地形が衾に似ていたともいわれる。今では、八雲5丁目に衾町公園があるだけで、この他には「衾」という地名の痕跡はない。
ところで、今の東急線自由が丘駅が開業したのは昭和2年8月。当時は九品仏駅という名前だった。そして、この年の11月、自由教育を提唱する手塚岸衛がこの近くに自由ヶ丘学園を創立した。実はこれが自由が丘の由来である。
昭和4年、東急電鉄は九品仏浄真寺の表参道前に新駅を設置し、こちらを九品仏駅とした。そのため、それまでの九品仏駅は地名をとって衾町駅に改名することが決まっていたが、舞踊家の石井漠など、周辺に住んでいた文化人達の強い運動で、駅名が「自由ヶ丘」に変更されたのだ。彼らは住所も自由ヶ丘○番地と名乗り、ついに地名までが正式に衾町自由ヶ丘になって今に引き継がれている。
ちなみに地名が「自由が丘」と「が」に変わったのは昭和40年のことである。
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