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[No.1203] 医師・和田秀樹が警鐘「あなたの調子が悪いのは、スマホのせいかもしれない」:記事紹介

清澤のコメント:アナログ型の私はスマホではほとんどメッセージは送らず、通話するのみです。周りを見回すと確かに多くの人が歩きスマホに耽溺していますね。スマホ断ちには賛成です。

プレジデントオンライン https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20221126-00063802-president-column

「考えることが面倒だ」「話についていけない」「文章の意味がわからない」「集中できない」……あなたの頭の調子が悪いのは「スマホ」のせいかもしれない。「スマートフォンは子どもだけではなく、大人の“脳”にも悪影響をもたらしている」と、医師・和田秀樹氏が警鐘を鳴らす。11月25日(金)発売の「プレジデント」(2022年12/16号)の特集「頭がいい思考、バカの思考」より、記事の一部をお届けします――。  (清澤がさらに短縮)
■あなたの不調はスマホのせいかも

 睡眠時間が削られる、眼が悪くなる、集中力が低下する――。いずれもよく知られたスマホの悪影響です。とりわけメディアでは若者のスマホ依存が言及されがちですが、大人やシニア層にとっても、スマホは同じように危険なものです。

 私が特に問題だと思うのは、スマホが人間の思考回路を変えてしまう点です。たとえば、スマホの小さい画面で文章を読むのが当たり前になると、文字情報の読解力が弱くなります。目につく見出し部分のみを流し読みするか、短い文章しか読まなくなり、情報処理力が下がっていくのです。情報処理力が弱いと、物事を多面的に見ることができなくなります。私は、このダイバーシティの時代においては、ひとつの物事に対し多面的に答えを引き出せることが、頭のよさを測る物差しになると考えています。

■日本人の「シゾフレ化」を、スマホが加速させる

人間の性格は大きくメランコ型(うつ病気質)とシゾフレ型(統合失調症気質)の2タイプにわかれます。心の世界の主役が他人であるか、自分であるかが両者の大きな違いです。自分が主役のメランコ型に対し、他人が主役のシゾフレ型は「主体性がなくなり人の意見に流されやすくなる」「濃い人間関係を回避する」という特徴があります。

 スマホを使ってSNSを利用する人は多いと思いますが、そこでよく見られる、みんなが「いいね」と認めるものを優先するコミュニケーションは、いかにもシゾフレ的です。いつでも「みんなと同じ」であろうとするあまり、人間関係も「広く浅く」の形式的な付き合いに終始します。LINEも同様です。LINEは1対1の深いコミュニケーションをしようと思えばできる設計になっているにもかかわらず、実際には人に嫌われたくないという考えに支配されて、当たり障りのないコミュニケーションになりがちです。だからこそLINEは、みんなとつながっている安心感を得られやすいツールだともいえるのですが、この安心感は危ういものです。わずかな安心感を手放すまいとアプリを開く頻度が増え、スマホ依存が進行していくのです。スマホ依存が行き着くのは「自分病」です。これは心理学や精神医学の正式な用語ではなく、「自分」というものが希薄になる現象を私が命名したものです。「自分が薄くなる」という感覚はピンとこないでしょう。だんだんみんなの目に映るバーチャルな自分の存在が大きくなってしまう。みんなに合わせ続けることでしか自分を保てなくなり、リアルの自分よりネットの自分を大事にするようになります。やがては「歩きスマホ」「ながらスマホ」が示すように、自分が今いる現実世界よりも、スマホの中の世界を優先し、周囲への迷惑も顧みなくなる。自分病の末路です。

■8割の日本人がスマホ依存

 スマホに依存してしまうのは、肌身離さず持ち歩きができることが大きな原因です。「ゲーム障害」も、スマホの普及と切り離しては考えられません。そんな便利なツールが手元にあって24時間使えたら、依存症になるのも無理はありません。これほど依存性が高いスマホなのに、アルコールやタバコのような各種規制がないところがまた厄介です。これは日本特有の依存症への認識の甘さを示しています。
「日本人の約8割がスマホ依存に該当する」という調査結果もあります。誰にとってもスマホ依存は人ごとではないのです。

■あらゆる依存症は自然治癒しない

 「あらゆる依存症は自然治癒しない」のです。「自助グループ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。同じ悩みを抱えた人たちが同じ場所に集まり、自らの体験を語り合いながら依存症を乗り越えることを目的とした集まりです。「ダメな自分」をさらけ出し、他人と経験をシェアしていきます。そうすることで、かけがえのない仲間ができるのです。依存症は「孤立の病」ともいわれます。お酒にしても、歯止めをかけてくれる誰かと飲んでいるうちは依存症になるリスクは低い。しかし孤立していると、酔いつぶれるまで飲んでしまう。やめたくてもやめられない不安を相談できる相手もなく、現実逃避のためにまた飲むことになります。

 スマホ依存を克服するため、自助グループに参加している人もいます。たまにはリアルで人と会い、普段は胸のうちにおさめている不満をこぼしてみてはどうでしょう。シゾフレ型の「広く浅く」の人間関係に慣れていると「そんなことして嫌われたらどうしよう」と心配になるでしょうが、案外「実は私も同じ」と言い合える仲間が見つかることもあります。その一方で、スマホ関連のビジネスをしている企業にも対応を求めたいところです。さらに一歩踏み込み、スマホ依存者を治療するための基金や施設が設けられることも望みます。

■テキストチャットより通話機能を使おう
大部分の人は同じ思いでいることでしょう。ならば大切なのは、スマホ断ちというより、スマホの有効な使い方を身につけることです。まず改めて意識したいのは、スマホの通話機能です。電話文化の復活を私は期待しています。

すぐ検索して深掘りできるのがスマホのよさです。認知心理学では、情報(知識)は思考の材料であり、知識なくしてものを考えることはできないとされています。脳に一定以上の知識のストックがなければ思考はできないのです。スマホですぐ情報にアクセスできる現代は、それを脳に入力することで誰でも知識人になれる時代の到来を意味します。スマホとは「知のツール」でもあるのです。

■本当の頭のよさとは何か
 単なる知識人ではもう古い。これからの時代に評価されるのは、知識人ではなく、思想家です。AI(人工知能)にも代替しえない思考の深さや多様性を担保できるかどうかが、ビジネスパーソンとして生き抜いていくためのカギとなります。、1つの事象について10個の情報を集め、それを総合判断して自分だけの答えを出すことをゴールとしたいものです。ネットニュースはあくまで、自分の意見を形成するための材料としてとらえるのがよいでしょう。

 スマホは私たちにとって、なければ困るものだという前提も疑うべきです。たとえば、スマホのない時間を意図的につくってみる。歩く、食べる、飲む、話す、聞く。こうした人間の日々の活動に本来スマホは必要ありません。こうした行動すべてが「スマホをしながら」になっている人もいますが、それこそスマホ依存の典型的な姿です。 仕事の呼び出しが頻繁にあるから、スマホを持ち歩かないといけないという人も、せめて休日ぐらいは、スマホを持たずに家を出てみてはいかがでしょうか。スマホの出番は困ったときだけ使うと決め、スマホから離れる時間を意図的に増やしていく。スマホは「なければ困る」ものではなく「あれば便利」なもの。脱スマホ依存は、この割り切りから始めてみましょう。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)精神科医 プレジデントオンライン

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