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[No.408] 3月11日仙台市立病院からのメールの思い出

清澤のコメント;再びあの東日本大震災が襲った3月11日がめぐってきます。今も鮮明に思い出される当時の思い出のメールです。

imagesCAVNZO6B(屋上の煙突が倒壊しかけた東日本大震災当時の仙台市立病院の写真)
地震の翌日に当時此処に務めていた亀山君から同級生のメールリストに仙台市の惨状を伝えてくれと言うメールを受けて転送したのを思い出しました。

探したら、私のこのノートパソコンにかろうじて残っていました。宮城県内の死者が1万人と言う情報は全国ニュースより一晩早く入ってきていました。このメールを見ると、今も胸が締め付けられる思いがします。

111207-new_sed_hosp-s(今、仙台市立病院は長町駅の東に随分大きく建築中です。)

このメールは2011/03/12 (土) 23:14に亀山君が発信するも、送信元のアドレスがいつもと違ったため、メーリングリストは自動転送がされず、彼が機転を利かせて赤マーク付で私に送ってきました。それに気が付いて、私がメーリングリストに流したのが2011/03/13 (日) 1:36のことです、
つまり地震発生の翌日の真夜中です。送信主亀山君はもう外に公表することを許してくれるでしょう。

第1信

「清澤先生、
いつもと違うメールアドレスから発信したら53会のメーリングリストにうまく流れません。メーリングリストにお手数ですが転送して頂けますでしょうか?

53会の皆様
地震2日目の夜を仙台市立病院で迎えました。既に400人を超える患者を受け入れてきましたが、現在もなお救急車(他県からの緊急消防援助隊)も含め収容依頼なしで搬入されてきています。仙台市内の死者もおそらく1000名を超え、宮城県内では1万人を楽に超すものと思います。夕方からは他県のDMAT(災害派遣医療チーム)2チームに当院に入ってもらい手伝ってもらっています。
病院はなんとか診療機能を維持し、電気は復旧、水道は給水車による優先給水、医療ガスは備蓄でやっています。市内の他院は電気が復旧しないため非常発電に依存しており重油の供給がいつ再開されるかがカギです。胸痛の問題点は、患者・職員の食料(備蓄もそれほど多くない。コンビニは長蛇の列)、薬品・診療材料の不足(卸が停電で機能せず、また壊滅状態となったところもあり、供給の見通しが立たず)等々です。市立病院の建物にも一部被害があり、入室禁止箇所があるため入院患者数の制限を余儀なくされています。
医師・看護師をはじめco-medicalスタッフを含め、職員の疲労(被害者としての心理面を含め)を考慮しながら、できることをやるのみです。
長沼先生も元気です。
仙台市立病院 亀山」

そして
第2信

「清澤先生、
再び申し訳ありませんが、53会メーリングリストに転送お願いします。亀山

53会の皆様

地震後3日目の夜となりました。仙台には全国各地から70を超えるDMAT(災害派遣医療チーム)が参集し、当院には昨日夕方から2チーム(神奈川赤十字病院、置賜総合病院)、本日は交代で4チーム(新庄病院、独協医大、深谷赤十字、JA中濃厚生病院)が救急診療のサポートにあたってくれています。地震直後からの受け入れ患者数は500名を超え(昨日、本日の臨時日中外来を含む)、まだ続々と傷病者が搬入されています。電気が復旧し非常電源から解放された病院も少しずつ出始めていますが、依然として医薬品、診療材料、医療ガス、重油等々の供給体制にいずれも不安を抱えながら診療にあたっているのが実情です。救急患者の質も少しずつ変化し、元々重症外傷患者の搬入が比較的少ないのも今回の災害の特徴のようですが、内因性の疾患が時間とともに増加している印象です。
県庁に宮城県の災害対策本部が設置され、今回初めて医師が災害医療コーディネーターとして災害対策本部に入り、災害拠点病院、医師会等の無線ネットワーク(電話は全くと言って良いほど機能しない)を駆使して、自衛隊による空路救出、ひき続き域外搬送(県外病院)や県内・市内病院への搬送調整、DMATの出動先調整等を行っています。そのため携帯型無線機を常に携帯しながら絶えることのない余震が続く院内を動いています。
通常の救急医療体制に戻るにはまだまだ時間が必要でしょう。
一緒に働く病院職員や救急隊員の中にはいまだ家族の安否が不明の人たちも少なからずいます。
多方面からの御支援、励ましを糧として今日も院内泊です。
仙台市立病院 救命救急部長 亀山」

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