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[No.469] 赤壁の賦:古い茶碗3客だけを貰って来ました。

清澤のコメント;子供が松本の私の実家を訪ねて、赤絵の蓋付き飯茶碗(古い伊万里?)5客揃いのうち、3客だけを貰って来ました。よく見ると外周には「赤壁の賦」という漢詩が細かい字で書かれています。(この写真は別物で、現在写真を準備中)赤壁といえばred cliffという映画(下に動画採録)で見た古戦場のはずです。少し調べてみました。宋代の文豪蘇軾 (そしよく) (東坡 (とうば) )が赤壁(湖北省黄岡県)に遊んだときの賦(韻文)。1082年の作。前赤壁の賦,後赤壁の賦の2つがあるそうです。現代語訳を再録。この船遊び場面は、赤壁の戦いから1000年の後の事です。殺伐たる今日此頃、こんな気持ちで長閑に酒を酌み交わしたいものです。

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1082年の秋、7月16日、私は客人とともに舟を浮かべて赤壁の辺りで遊びました。
すがすがしい風がゆっくりと吹いてきましたが、水面には波がたっていません。
酒をあげて客人に勧め、「名月」の詩を唱えて、「窈窕」の詩を歌いました。
しばらくして、月が東の山の上に出て、射手座と山羊座の間を動いていきます。
きらきらと光る露が川面に広がり、水面の輝きは(水平線の彼方で)天と接しています。
一艘の舟が(川の流れの)ゆく所に従って、果てしなく広々としたその先まで進んでいきます。
(その様は)どこまでも限りなく続く大空で風に乗ってとどまるところを知らないかのようであり、ふわふわと浮かんで世俗のことを忘れてただ一人で、羽が生えて天に登って仙人になったかのように感じられます。
私は憂い悲しみ襟を正し、かしこまって座って客人に尋ねて言いました。

「どうして(笛の音が)そのよう(に悲しげ)なのですか。」と。

客人が言いました。

「『月が明るいものの星はあまり出ておらず、かささぎが南に飛んで行く』というのは曹操の詩ではないですか。
西の方角に夏口を眺め、東の方角に武昌を眺めれば、山と川とがまつわりあって、草木が青々と生い茂っています。
ここ(赤壁)は曹操が周瑜に苦しめられた所ではないですか。
(曹操が)荊州を破って、江陵を下り、流れに沿って東に向かうにあたって、(曹操の隊列の長さは)船首と船尾が千里に及び、旗は空を覆い隠すかのようでした。
(曹操は)酒を酌んで(赤壁のある)長江に臨み、矛を横にして詩を作りました、(彼こそ)本当の一時代の英雄です。
しかし今はどこにいるのでしょうか。
(曹操は魏の国王でしたが)まして私やあなたは、長江のほとりで木を切り魚を捕らえ、魚とエビを伴侶とし、大鹿と鹿を友として、一枚の葉のような小舟に乗り、ひさごで作った酒樽をかかげて酒を酌み交わす者であり、かげろうのようなはかない人生を天と地に預け、広大な果てのない青い海の中に浮かぶ一粒の粟のような存在なのです。
自分の命がすぐに過ぎてしまうことを悲しく思い、長江の尽きることがない様子を羨ましく思うのです。
空飛ぶ仙人をわきばさんで盛んに遊び、名月を抱いて長生きすることは、急に得ることができるものではないことを知り、笛の悲しげな余韻を風に託したのです。」と。

私は言いました。

「あなたもまたあの水と月のことを知っていますか。
流れるゆくものはこの(長江の)ようなものですが、今までに(すべての川の水が)流れていってしまったことはありません。
満ちたり欠けたりすることはあれ(月)のようなものですが、結局大きくなったり小さくなったりすることはありません。
思うに、物は変化するという視点からこれらをみると、天地は一瞬たりとも同じ状態でいることはありえません。
(一方で)物は変化しないという視点からこれらをみると、物も私も皆尽きることはないのです。
このうえさらに何を羨むことがありましょうか、いやありません。
天地の間の物には、(その間に存在する物すべてに)それぞれ持ち主がいます。
仮に自分の所有する物でないものは、わずかであっても取ることはできません。
ただ長江の清々しい風と山間に浮かぶ名月だけは、耳でこれ(風)をとらえると(すばらしい)音だと感じ、目でこれに出逢えば(すばらしい)色だと感じるのです。
これら(風と名月)を取ることは禁じられておらず、これらはいくら用いても尽きることはありません。
これらは万物を創造する神の尽きることのない蓄えなのです。
そして私とあなたと共に心に適(かな)うものなのです。」と。

客人は喜んで笑い、盃を洗ってさらに酒を酌みました。
酒の肴と果物はなくなり、盃や皿が(席上に)散乱しました。
舟の中でお互いに寄りかかって眠り、東の空が(朝日で)白んでいたことがわからなかったのです。

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