ご近所の話題

[No.796] また今年も終戦記念日が近づいてきました

清澤のコメント:眼科とは関係のない記事です。1945年広島に原爆が投下された8月6日が過ぎ、まもなく8月15日がめぐってきます。大東亜戦争に関する評価もこのところ様々に変わってきています。毎年今頃になると、今日は何があった日であって、もう一週間で日本に終戦がもたらされたのだと思わされます。このころ私の父は日本大学文理学部土木工学科の学生で、大学と共に自宅のある松本市に疎開中で、松本市の東城山に航空機を製造する地下壕の掘削に加わっていたそうです。8月15日のラジオ放送を隣家の窓から聞き、帰宅して「おふくろ、負けたわね。」と口にしたと聞いていました。終戦記念日が近づく中、同じことが繰り返されかねない世相も見て、自らの立ち位置を確認したいと思います。ーーー

山辺地区の軍事工場

山辺地区の軍事工場は林城山(東城山)と向山の2か所に建設されました。山中を格子状に掘り進め、掘り出された岩石や土砂は、トロッコで運ばれて捨てられました
木製のアーチ状の屋根をもつ半地下工場は、軍によって押収された林地区一帯の田畑に建てられました。
工場建設には、陸軍、三菱重工業株式会社、株式会社熊谷組、技術系の大学・専門学校の学生、勤労動員による松本市周辺や県内の人びと、県外の職人集団、朝鮮人が動員されました。
労働にたずさわった人びとは、山辺地区の公共建物、寺社、民家や「飯場」(共同宿泊施設)に宿泊していました。

以下に1945年8月の出来事を抜粋します:

1945年(昭和20年)8月

メルマガ登録
 

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。