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[No.1021] 仏眼仏母とは?

今朝の眼の話題です;その昔、仙台市に仏眼診療所という眼科の診療所があったと聞いたことがあります。若林区の場所からして、仏眼寺 (仙台市)関係の物だったのでしょうか。その話を聞いてから、ずっと仏眼とは何のことかと思っておりました。今日のネット記事に高山寺の仏眼曼荼羅の解説が出ていました。

仏眼仏母とは?:wikipediaから:

仏眼仏母 (ぶつげんぶつも)は、仏教、特に密教で崇められる女性の尊格。真理を見つめる眼を神格化したものである。 なお、所依の経典によって、大日如来所変、釈迦如来所変、金剛薩埵所変の三種類の仏眼仏母が説かれる。

概要

三昧耶形は如来眼(肉髻と微笑む両目)、金剛眼(独鈷金剛杵の両側に微笑む眼)、あるいは如意宝珠。種子はギャ(ga)、またはシリー(śrī)。 その姿は、日本では一般に装身具を身に着けた菩薩形で、喜悦微笑して法界定印の印相をとる姿に表される。

人は真理を見つめて世の理を悟り、仏即ち「目覚めた者」となる。これを「真理を見つめる眼が仏を産む」更に「人に真理を見せて仏として生まれ変わらせる宇宙の神性」という様に擬人化して考え、仏母即ち「仏の母」としての仏眼信仰に発展した。

また『大日経疏』では、「諸々の仏が人々を観察し、彼らを救うために最も相応しい姿を表す」という大乗仏教の下化衆生思想に基づく解釈も行われている。密教においては「目を開いて仏として生まれ変わらせる」その役割から、仏像の開眼儀式でその真言が唱えられる。(清澤:この先は理解不能)

また、仏眼仏母は胎蔵界大日如来が金剛界月輪三昧という深い瞑想の境地に至った姿ととも解釈され、一字金輪仏頂とは表裏一体の関係にあるとされる。例えば、一字金輪仏頂がその輪宝で悪神を折伏するとすれば、仏眼仏母は悪神を摂受によって教え導くという。 そのため仏眼仏母の曼荼羅には必ず一字金輪仏頂も描かれ、一字金輪仏頂曼荼羅にも必ず仏眼仏母が描かれる。

ーーーー日経新聞記事抜粋ーーーー

◎ 美しき曼荼羅図(2)仏眼曼荼羅

宗教学者 正木晃 美の十選 2022年10月7日 (から抜粋)

胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)も金剛界曼荼羅も中心に描かれるのは、大宇宙そのものであり万物の根源でもある大日如来だ。一方、目的別に大日如来以外の尊格を本尊とする密教儀礼を別尊法(べっそんほう)といい、使われる曼荼羅を別尊曼荼羅(べつそんまんだら)と称する

高野山霊宝館提供

仏眼(ぶつげん)曼荼羅安寧を祈る息災法や敵対者を呪殺する調伏法(ちょうぶくほう)に使われてきた別尊曼荼羅だ。仏眼とは全てを見通す仏の徳を尊格化した仏眼仏母(ぶつげんぶつも)の略称。密教の規定書は天女のように描けと指示する。

画面はかなり縦長だ。日本人の美意識では正方形は好まれなかったからである。しかし曼荼羅に不可欠な対称性は維持されている。例えば全体の構図は胎蔵曼荼羅の中心に位置する中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)(大日如来+四仏+四菩薩)を重ねたような形態で、対称性に直結する4や8という数が随所に見られる。

画面中央の八輻輪(はっぷくりん)(八本スポークの車輪状の法具)の車軸にあたる箇所に仏眼菩薩が坐す。、、(江戸年代、絹本著色、107.5×59センチ、宝寿院蔵):

◎  ーー京都国立博物館の記事から:高山寺仏眼仏母像ーーー

高山寺(こうざんじ)に伝わる「仏眼仏母像(ぶつげんぶつもぞう)」。ホトケは、ただでさえあらゆることを知る能力を備えています。そのホトケたちの中でも、千里眼(せんりがん)のように物事の本質を見きわめる力を持っているのが、この仏眼仏母です。「仏眼(ぶつげん)」とは文字どおりホトケの眼を意味します。「仏母(ぶつも)」というのは、ホトケの母というのがもともとの意味ですが、ここでは「悟(さと)りの母体(ぼたい)」と考えていいでしょう。、、本質を見きわめるホトケの眼の働きは、悟りの母体となるものなのです。

国宝 仏眼仏母像 <京都 高山寺蔵>

国宝 仏眼仏母像 <京都 高山寺蔵>

画像をながめましょう。何層(なんそう)にも花びらが重なった白くて大きな蓮華(れんげ)の花の上に、仏眼仏母は印(いん)を結(むす)んでおごそかに坐(すわ)っています。顔の表情はやさしく穏(おだ)やかで、人々をいつくしむ眼差(まなざ)しが感じられます。すべてを見通すことのできる仏眼にとって悪戦苦闘(あくせんくとう)するヒトの生きざまは、きっと哀(あわ)れを誘(さそ)うものとして映(うつ)るのでしょう。頭上に戴(いただ)いているのは、智恵(ちえ)の王者を象徴(しょうちょう)する獅子頭(ししがしら)(獅子冠(ししかん)という)です。体も白く、着ている服も、坐っている蓮華の花も白く、この白色のひろがりがすぱらしい清涼感(せいりょうかん)をかきたててくれます。

ところで、画面をよく見ると、背景に文字のようなものが記されていることに気がつきます。じつはこの画像は、明恵上人(みょうえしょうにん:1173~1232)という立派(りっぱ)なお坊さんの守(まも)り本尊(ほんぞん)(念持仏(ねんじぶつ))でした。若い修行時代(しょぎょうじだい)から明恵はこの画像を前に、瞑想(めいそう)を積(つ)み重(かさ)ねていました。いつしか、明恵の体験の中で、釈迦(しゃか)を「父」、仏眼仏母を「母」とみなすような心理(しんり)がかたちづくられていったようです。明恵自身は仏母=悟りの母体という宗教的(しゅうきょうてき)な意味を理解していたに違いありません。しかし、「仏母」という文字面(づら)に引きずられて、仏眼仏母像に「母」をみることになったのでしょう。ここは理屈(りくつ)ではありません。わかっていながら止(や)められないのが、ヒトの性(さが)なのです。

明恵は自分が見た夢の記録(『夢の記(ゆめのき)』)をていねいに残しています。その中で、しばしば自分の念持仏=仏眼仏母を「母御前(ははごぜん)」と呼んでいます。画面の背景の文字は、この明恵みずから書き込んだものですが、その中に「母御前々々々」と何度も呼びかけている句(く)があります。まるで、明恵の声が画中にこだましているようで、耳をおおいたくなるほどの生(な)まなましさがあります。

耳といえば、明恵がこの書き入れを行った時には、すでに片方の耳を失っていました。建久(けんきゅう)7年(1196)明恵24歳のおり、修行上の悩(なや)みから、この画像を前にして片耳を傷(きず)つけてしまったのです。書き込みの中に「無耳法師」(みみなしほうし)とあるのは、自分のことを指しています。記録(きろく)によると、その時飛び散った血の一部が、白い蓮華の花にかかったとあります。ただ、その痕跡(こんせき)は残っていません。その時以前に本作品が制作されたことは確実で、12世紀末頃の作品と考えられます。

(清澤注:ビンセント・ヴァン・ゴッホのような履歴ですね。自傷行為は、うつ病や摂食障害、パニック障害、解離性障害、外傷後ストレス障害、境界性パーソナリティ障害など、様々な心の問題や精神疾患で見られることが多い行為と記載がありますが、ここでは、そちらには深入りしないでおきます。

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