清澤のコメント:目を使っての作業に関するエチケットです。これは現代に必須のエチケットかもしれません。スマホを手に取るときには、相手を無視するわけではないことを伝えるために、その目的を対談中の相手に宣言しましょう。
ーーー記事の要点ーーー
会議中に「スマホ」を見ることで失う大切なモノ相手に「無礼だ」と思われないちょっとしたコツ
一瞬でその場から消え去る装置
SFの世界に「遮蔽装置」という、宇宙船などの物体を見えなくする架空の技術がある。現代のスペースオペラには欠かせない技術だが、『スター・トレック』のクリンゴン人やロミュラン人にしても、自分とまわりの両方を不可視化できる装置は持っていない。
ところが、私たちの多くは持っている。スマートフォンのことだ。「ズー」という、着信を知らせる微振動を感じて手に取るやいなや、自分の意識はどこかに消え去る。不思議なことに、この効果は双方向に働く。自分が消えているあいだ、まわりの世界も私たちの前から消えるのだ。だれも目に入らず、だれの声も聞こえなくなる。そうして世界にはスマートフォンだけが残る。
デバイスやソーシャルメディアに没頭しているとき、人は時間や注意力のコントロールを失い、目の前の仕事や会議(またはそのほかのあらゆること)から心が離れがちになる。この状態を、スワースモア大学の心理学教授ケネス・J・ガーゲンは、「不在なる存在」という言葉で表している。
「不在なる存在」とは、いわば心ここにあらずの状態で、人間関係に影響し、本人の評価を傷つけることもある。目の前の相手にしっかり向き合うことは、社会人が身につけるべき暗黙のビジネス作法だからだ。それが断りもなく引っ込められると、周囲は気づく。同僚たちは、あなたを不作法で浮ついた、社会的に未熟な人間だと思うかもしれない。
私自身は、この「不在なる存在」を、とある化粧品会社のクライアントとの打ち合わせで経験した。私が店舗数と地域担当マネジャーの人数を尋ねたところ、質問の最中に、先方のシニアマネジャーがスマホを取り出して消えた。画面に吸い寄せられたきり、返事をしなくなったのだ。
メールに没頭しているんだろう、そう思って私は話を続けたが、内心では無視されているような気がした。それから2分はあっただろうか、気まずい空気の中でなおも話していると、シニアマネジャーがふいに顔を上げて「350人です。地域担当マネジャーは350人」と言った。話を聞いていないわけではなかったらしい。
それでも彼が何をしていたかはわからず、不信感も解消されないまま、結果として双方の関係や話の流れに悪影響が及んでしまった。それもこれも、わずか数分の「不在」のせいだ。
会議で(ほかの場所でも)「不在なる存在」が生じると、その人は虚空に消えたと思われる。何をしているか、いつ戻ってくるのか、相手には知りようがない。
相手に無礼と思われないための方法
こうした状況で目覚ましい効果を発揮するのが、「画面を見る宣言」と私が呼ぶテクニックだ。「画面を見る宣言」とは、スマホなどの画面つきのデジタル機器を使うときに、自分がこれから何をするのか、声に出して説明することをいう。これは、デバイスの誘惑に負けて人間関係を壊さないためにとても役に立つ。
たとえば、同僚との会話中やミーティング中にデバイスに集中する必要ができたら、「これから○○します」と宣言する。自分がどこに消えて、いつ戻ってくるかを知らせるわけだ。
「上司にメールを1本書かせてください」とか、「地域担当マネジャーのデータを確認します」などと、簡単に言うだけでいい。自分が画面を使って何をしているのか、他人といるときは必ずおおまかにでも説明すると決めれば、それは素晴らしい習慣になる。
余談ながら、家庭はこの宣言がとりわけ大事な場所である。大切な人といるときには、ひと言断ってからスマホを手に取ろう。「湖への行き方を調べるね」と告げてから、地図アプリを立ち上げる。「ブランチの件でおばあちゃんに連絡するよ」と伝えてから、メールに集中する。
子どもたちや友人やパートナーも、スマホに首ったけのあなたを見て寂しさを感じることが減るだろう。
デバイスから人生の主導権を取り戻す
またもう1つ、このテクニックには強力な利点がある。最愛のデバイスになぜ手を伸ばしたのか、嫌でも説明しなければならないのだ。そしてたいてい、そのわけを言おうとして、はたと気づかされる。自分がさしたる目的もなく、それを手に取っていたことに。
私たちがデバイスを使うのは人生を豊かにするためで、人生を乗っ取られるためではない。デバイスの支配から自分自身を守るには、戦略的に小休止をとり、いましていることの影響を理解したうえで、デバイスとのバランスのとれたつき合い方のビジョンを明確にしなければならない。
私たちは、デバイスを使う時間の上限を決めて、その目標を守らなければならない。これはなかなか手ごわくてしんどい作業だ。けれど、それが自分を守る唯一の道であり、やる価値は十分にある。
そうするうちにやがて気づくはずだ。画面から離れて本来の人生へと戻るその一歩一歩が、価値と確かな「いま」の気配に満ちていることに。そうやって自分自身との、他者との、生き生きしたつながりを取り戻していこう。
(訳:三輪美矢子)
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