阿佐ヶ谷ラピュタで「地獄の破門状」という映画を見てきました。どこが破門状かわかりませんでしたが、1969年撮影で、大正大震災(大正12年)より前の大正時代の浅草が舞台でした。(脚注★水銀を飲ませて声を奪うことができるか?)アマゾンプライムでも見られます。
ーーーーーーー
「」のストーリー(物語が解るようにムービーウォーカー記事を多少改変)
大正の末期。芸人の小磯菊次(小林旭)と片岡小新(浅丘ルリ子)が、俵屋一家に因縁をつけられたのは、浅草で農民救済の慈善興行をしていた時だった。
菊次は、俵屋の次男坊宗吉(高橋英樹)に助けられたものの、小新の弟松旭斉直八(渡哲也)は一家の右腕を使えなくなるという惨い仕打ちを受けた。
さらに、手助けを頼んだ本堂理市親分(水島道太郎)には、その手打の席上で水銀(★脚注)を飲まされる始末だった。
それから二年。菊次は浅草から行方をくらませ、宗吉は兄から離れ小料理屋を始めた。一方芸者に身を落した小新は、俵屋島蔵(深江章喜)の囲い者にされようとしていた。直八はそんな姉を守り、防波堤になっていた。
やがて宗吉と小新は、奇術師の美無月水仙(三条泰子)から菊次が死んだという噂を聞いた。悲しむ小新を宗吉はいたわったが、それからというもの、お座敷に出ても荒れ狂い、今迄の小新ではなかった。
本堂が浅草に手を延ばして来た。島蔵が本堂の子分の刃に倒れ、宗吉の小料理屋も、小新や岩松のいる芸人長屋も取壊されようとしていた。
宗吉は、単身で本堂組に対抗し皆を庇った。小新は男らしい宗吉をいつしか愛するようになった。岩松も息子菊次のことを忘れ、二人の前途を祝福した。
そんな折、花見亭が燃え、岩松は犠牲者となった。菊次は直八に、父が火事にかこつけて殺されたと知らされた。怒って飛出した菊次の前に、バイオリンの常(宍戸錠)が行手を塞いだ。常は弟殺しの仇と菊次を狙っていたのだ。身に憶えのない菊次は唖然としたが宗吉のとりなしで決闘はおさまった。そして、菊次、宗吉、直八、常の四人は、悪徳ボス本堂を倒し浅草を守ったのだった。
ーーーーーー
(有機)水銀中毒の症状を調べてみました。
神経障害が生じるため、手足や顔面のしびれ、ふるえなどの不随意(自分の意思によらない)運動、視野異常、言葉を出しにくい(構音障害)といった症状がみられるとされる。有機水銀としてはマーキュロクロム液(赤チン)が知られていたが、これはメルブロミン(merbromin)の水溶液(メルブロミン液)の商品名であり、皮膚・キズの殺菌・消毒に用いられる局所殺菌剤であった。メルブロミンは有機水銀二ナトリウム塩化合物である。この薬剤の誤飲でそれほどの声帯マヒが起きた例があるかどうかは不詳。この映画が作られたころに有機水銀を原因とする水俣病が注目を集め(メチル水銀が水俣病の原因だと判明し、環境に配慮した対策がとられたのは1968年のこと)その症状に声帯マヒ症状が含まれたので、この時にようなストーリーが作られたのかもしれないです。
コメント