その鐘を鳴らしたのは誰の手か?
美し国フランスよ、気高き白亜のブリテンよ、
どちらも我々の愛した国なのに」
(フランチシェク・ハラス)(1901-49チェコの詩人)」
クリミア半島割譲?(ズデーテン地方のナチスドイツへの割譲と相似形)ある国の一部分に特定の民族が過半数を占める地域があると、その地域の住民はその地域の帰属を自分の民族が動かす国に変えたいと願うことがあります。隣の大国はその地域に傀儡政権を立て、自国民の保護を言い訳に自国にその地域を併合しようとします。
そのようなことがかつてのチェコスロバキアでもあり、ズデーテン地方がチェコからナチスドイツへ割譲されたことがありました。今回の事態は、それと相似形の事態です。1939年は昭和14年です。
今回の事態で印象的なのは、ウクライナへの支配を少しでも守ろうとするプーチン・ロシア大統領の強い意志と、命がけでは他国を守るわけではない欧米の姿勢、そして「誰も助けてはくれない」というウクライナ政府の無力な発言です。
以下の引用は以前の私の読書感想です。
HHhHプラハ、1942年、(Himmlers Hirn heiszt Heydrichヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる)ローラン・ビネ著に関する記事の一部ですーー
「チェコスロバキアに関する歴史では、最初にナチスがオーストリアを無理やり併合(1939年)して次にチェコスロバキアに恫喝をかけたときに、イギリス、フランス両国は、自らの利益を考えてズデーテン地方のドイツへの割譲をチェコスロバキアに迫ります(ミュンヘン会談)。チャーチルは当時のチェンバレン政府を批判して、「戦争か不名誉か、そのどちらかを選ばなければならない羽目になって、諸君は不名誉を選んだ。そして得るものは戦争なのだ。」と国会で述べたそうです。
「鐘が鳴る、鐘が鳴る、裏切りの鐘が鳴る
その鐘を鳴らしたのは誰の手か?
美し国フランスよ、気高き白亜のブリテンよ、
どちらも我々の愛した国なのに」
(フランチシェク・ハラス)(1901-49チェコの詩人)
それを当時のチェコスロバキアの人々は、こう歌いました。
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