社会・経済

[No.813] インドネシア独立宣言:1945年8月17日を思う

清澤のコメント:日本政府の連合国に対する降伏の玉音放送が流れ、内地の日本国民が太平洋戦争の終結を知ってからわずか2日後に、インドネシアの独立宣言がなされた。実際にはインドネシア独立戦争の終結には5年の月日を要すのだが、スカルノとハッタによる独立宣言がなされた時までの、この時間の短さには驚かざるを得ない。この間の流れをウィキペディアでたどってみる。

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日本の戦局が悪化してくると、1944年9月3日には将来の独立を認容する「小磯声明」を発表、さらに1945年3月に東インドに独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させた。同年8月7日スカルノを主席とする独立準備委員会が設立され、その第1回会議が18日に開催されるはずであったが、8月15日に日本が降伏したことによって、この軍政当局の主導による独立準備は中止されることとなった。

1945年8月15日、ジャカルタの街に日本が連合軍に降伏したという噂が拡がっていたため、スカルノとハッタは山本茂一郎軍政監と接触して、確実な情報を得ようと務めたが徒労に終わった。そこで二人は同日14時半頃前田精海軍少将を訪ねたところ、前田は公式な情報がないという理由で回答を留保した。16日早朝、スカルノとハッタは、無傷の日本軍と敵対してでも即時に独立宣言すべきと主張する青年グループに拉致された(レンガス・デンクロック事件)。スカルノ、ハッタおよびスバルジョは青年グループを説得し、8月17日の正午までに準備を整え独立を宣言すべく解放され、ジャカルタへ向かった。16日23時頃、スカルノ、ハッタらは前田海軍少将邸に集まり、既に起草されていた憲法前文の独立宣言に関連した箇所に基いて独立宣言を起草し採択した。17日10時頃、スカルノらインドネシアの民族主義者たち自身が、連合国の了解を得ることなく、スカルノの私邸に集まった約1000名の立会いを得て、インドネシア独立宣言を発表し、スカルノを首班とするインドネシア共和国が成立した。

独立宣言後の8月22日には人民治安団(Badan Keamanan Rakyat)が政府布告によって結成され、政府は日本軍政下で結成された旧ペタ(郷土防衛義勇軍)系の将兵、兵補らに参加を呼びかけた。この人民治安団が治安維持、急進化する青年層の取り込みといった目的をもっていたのに対して、10月5日に結成された人民治安軍(Tentara Keamanan Rakyat)は、10月になって本格的に進駐してきたイギリス軍および旧宗主国のオランダ軍に対抗するという目的があった。人民治安軍は旧蘭印軍将兵に対してもこれへの参加を呼びかけ、純然たる軍組織を目指した。共和国側にはこの正規軍以外にも複数の非正規の武装組織が誕生し、その活動には政府の統制が及ばなかった

一方、大戦に敗れた日本軍は、連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア人の独立派への武器引渡しも厳禁とされていた。この命令を守るために独立派との間でスマラン事件などの衝突が生じ、日本側にも多数の死傷者が出た。他方で、日本軍部隊が上官の命によって兵器の集積庫を開放し、横流しした例もある。その結果、日本軍からは3万丁以上の三八式歩兵銃、数百の野砲・トラック、食料、弾薬、軍刀など多くの資材が独立派の手に渡った。日本に引き揚げずにインドネシア独立派に身を投じた元日本兵は数千人に上った各国の独立運動支援のために武器を持ったまま義勇軍に加わる日本兵も少なくなく、インドネシアの場合、その数は通常3千人といわれ、千人がオランダ軍との戦いで独立義勇軍の兵士として戦死、千人がインドネシア独立後に日本へ帰国、千人がインドネシアに帰化したといわれる。約2000人の元日本軍兵は祖国に帰らず、そのまま除隊(この時点で日本軍籍は消滅)、残留してインドネシア独立軍に参加し、降伏時所持していた兵器物資を横流しした者、軍政資材をそのまま利用し独立運動の広報・宣伝に当たった者もいた。ある者はインドネシア人と結婚して家庭を築き、またある者はイスラム教に改宗するなどして現地社会に溶け込み、インドネシア独立戦争の終了後も日本に帰還する者は少なかった。なお、陸軍第16軍の作戦参謀を務めた宮元静雄によると、帰隊者・死亡者をのぞく現地逃亡残留兵は総計277名で、そのうち166名はジャワのバンドン地区の将兵であった

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先の「ルーズベルトに与うる書」にも述べられたとおり、日本人の心の中に存在した白人からの黄色人種の解放という大義が存在したということは、今後もっと日本国民に認識されてもよいのではなかろうか?当時においても、日本が現地人を焚きつけて欧米の植民地を奪うということが、欧米諸国にとって大いなる脅威で有ったことは容易に想像され得る。もしかすると、現在における中国の台頭も欧米諸国に対して、同様の恐怖を呼び起こしているのかもしれない。

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