2011年南砂町地震後の状況です。2011年から2022年:その後いろいろなことがあり、私もそこそこ大きく育てた南砂町の清澤眼科医院を事業譲渡しました。そして縁あって「自由が丘清澤眼科」を新規に開設させていただきました。そして、早くも4か月の診療を無事終了できました。下記は11年前の地震の日の記事です。
2111 南砂町地震後の状況をお知らせします。
今回の津波などで大事な方を失ったり傷つけられたりした方々にはお見舞いを申し上げます。今も不気味な余震が続いてはおります。今日は皆様それぞれに、得難い経験をされたことでしょう。
昼休みまでは普通に一日でした、緑内障の点眼薬の選択の話の勉強会などしておりました。
地震発生、医院も大きく揺れ、視野計も大きく動きました。本日午後の受診者は6人。特に遠くからの方々は今夜をどうお過ごしか(自宅まで帰着できたか?)と心配しています。
夕刻になって、ここ南砂町でも東京メトロ東西線は依然止まっています。南砂町駅では地下の地下鉄構内にも人を入らせてはいません。線路、その他の安全が確保できないと今夜はもう走らせないということのようです。
陽がある内までは駅の入り口で帰宅の地下鉄の運行再開を待っていた人々も、暗くなるといずこかに去り、ジャンパーに防災用ヘルメットで重装備の駅員に、いつ運転が再開できるのかと聞く人が数人いるだけです。係員にも答えはなく、今夜はもう走らないだろうという答えが返ってくるばかりです。
夕方、窓の外を見ますと、葛西方面に歩いて帰る人の列が永代通りには続いていました。この行列も以前から予測されていたものではありますが、みなさんどこまで歩いて帰るのでしょうか?暗くならぬうちに無事帰着されたのでしょうか?
当医院では従来から非常時を想定して、非常食などをある程度確保してありました。(この準備の記事にリンク)また、
緊急時のシェルター兼活動拠点も昨年10月から用意してあります(この記事にリンク)。
しかし、この行列を見て私は従業員に10人分のパンやおにぎりを買いに近所のコンビニに走ってもらいました。こうして一食分の食料をさらに確保したのですが、ほぼこれが今日のコンビニでは最後のチャンスだったということです。
しかしながら、意外にも下の居酒屋や近所のラーメン屋さんは今夜も通常のように開いて営業をしておりましたので、手にいれた食糧は温存して今夜の晩御飯はおなじみのラーメン屋さん華山で戴くことができました。さらに、あすの朝の朝食用にとカレーチャーハンを7人分弁当の形で用意してもらいました。
私は留守番のために医院に戻って、当医院職員のうち今夜は帰宅せずにここに泊ることになったメンバーと近所の5人を急遽このラーメン屋さんに移動させ、今夜の腹ごしらえをさせました。
このお店には、葛西に向かう清砂大橋の方向を聞く帰宅者も顔を出して道を聞いていました。また、御徒町から歩いて南砂町まで帰着したというおじさんが”アー疲れた”と言って入って見えました。4時過ぎから3時間かけて歩いてきたそうです。医院従業員の一連隊を見て彼は当医院の患者さんでもあると話してくださいました。
”無理して歩いて帰宅しようとはせず、現場で待機せよす”という政府の指示はこの場合にはあたっていたと考えられます。
千葉のコンビナートの火災をテレビで見ますと恐ろしいものを感じます。
まだ午後9時ですが、ここは電気もガスも切れてはいないので寒くもなく、医院と院長室とに分かれれば、横になれるスペースもありますから、今夜の野営には比較的楽です。
幸い明日は土曜日なので、診療は昼まで。土曜日には交通やライフラインも復旧することを期待しましょう。
コメント