清澤のコメント:眼科とは関係のない記事です。1945年広島に原爆が投下された8月6日が過ぎ、まもなく8月15日がめぐってきます。大東亜戦争に関する評価もこのところ様々に変わってきています。毎年今頃になると、今日は何があった日であって、もう一週間で日本に終戦がもたらされたのだと思わされます。このころ私の父は日本大学文理学部土木工学科の学生で、大学と共に自宅のある松本市に疎開中で、松本市の東城山に航空機を製造する地下壕の掘削に加わっていたそうです。8月15日のラジオ放送を隣家の窓から聞き、帰宅して「おふくろ、負けたわね。」と口にしたと聞いていました。終戦記念日が近づく中、同じことが繰り返されかねない世相も見て、自らの立ち位置を確認したいと思います。ーーー
◎山辺地区の軍事工場
山辺地区の軍事工場は林城山(東城山)と向山の2か所に建設されました。山中を格子状に掘り進め、掘り出された岩石や土砂は、トロッコで運ばれて捨てられました。
木製のアーチ状の屋根をもつ半地下工場は、軍によって押収された林地区一帯の田畑に建てられました。
工場建設には、陸軍、三菱重工業株式会社、株式会社熊谷組、技術系の大学・専門学校の学生、勤労動員による松本市周辺や県内の人びと、県外の職人集団、朝鮮人が動員されました。
労働にたずさわった人びとは、山辺地区の公共建物、寺社、民家や「飯場」(共同宿泊施設)に宿泊していました。
以下に1945年8月の出来事を抜粋します:
1945年(昭和20年)8月
- 8月2日 – ポツダム会談終了。
- 8月6日午前8時15分 – 米軍が広島市へ原子爆弾投下。
- 8月8日深夜 – ソ連が日ソ中立条約を破棄、日本に宣戦布告。
- 8月9日
- 8月11日 ソ連軍が日ソ国境を越えて南樺太へ侵攻(樺太の戦い (1945年))。
- 8月12日 – 満州国鶏寧県麻生区(現中華人民共和国黒龍江省鶏西市麻山区)において、日本の哈達河開拓団が避難中にソ連軍と満州国軍反乱兵によって攻撃されて集団自決した(麻山事件)。
- 8月14日
- ダグラス・マッカーサー米太平洋陸軍司令官が連合国軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers、SCAP)に就任。
- 8月15日 – 日本がポツダム宣言の受諾を表明(終戦の日)。
- 8月16日
- ヨシフ・スターリンがソ連軍の北海道占領を米トルーマン大統領に要求。トルーマンは18日に拒否回答。
- 8月17日
- 8月18日
- ソ連軍が千島列島で攻撃開始。
- 8月23日 – ソビエト連邦の指導者スターリンが日本軍捕虜のソ連国内への移送を指令。
- 8月27日 – 敦化事件。占領軍の暴行に抗議して婦女子集団自決。
- 8月28日
- 8月30日
- マッカーサー連合国軍最高司令官(SCAP)が沖縄本島より厚木飛行場に到着し、米太平洋軍総指令部 (USAPA) を横浜税関に設置。
- 8月31日 – 米軍主力が横浜・館山に上陸。
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