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[No.61] 自由が丘散歩:熊野神社境外の庚申塔

新規開院した自由が丘清澤眼科の北50メートルほど、自由が丘熊野神社の鳥居の外にこの祠はある。今でも誰か供物を供える人が居るようだ。初めのサムネイル写真は自分で撮ったもの。とても気になったから、その謂れを調べてみた。そこに描かれていたのが青面金剛像。三眼の憤怒相という事で眼が出てきた。

 

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「自由が丘駅の北200mほどの場所に熊野神社がある。昔は「谷畑の権現様」と呼ばれた鎮守。谷畑は現在の自由が丘や緑が丘の地域の大字で、江戸時代は衾村の南端で奥沢村に接していた。鎌倉時代から江戸時代にかけて熊野詣が民間に流行し、あちこちに熊野講が出来た。言い伝えではこの神社もその流れで鎌倉時代に勧請されたものらしい。

神社の参道入口脇に小さな祠がある。その中には庚申塔が1基祀られている。熊野講が落ち着いた頃、江戸中期には念仏講、庚申講が大流行している。したがって古くからある熊野神社の門前にちょっとだけ間借りして建てられた庚申堂なのだろう。庚申塔は角柱型で青面金剛像のみが描かれている。造立年は文政11年(1828)と江戸時代後期のもの。」なのだそうだ。

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次はこの庚申信仰について:庚申(こうしん) もとは道教の守庚申より出た庚申 (かのえさる) の年または日の禁忌行事を伴う信仰。 庚申の夜には,人の体内にいる三尸 (さんし) の虫が,その体内を抜け出して天帝にその人の罪過を告げると信じられ,これを防ぐため道士たちは不眠の行を行なった。

庚申の権能は各地で違うが、多岐にわたり、豊作、招福、厄除け、家族、和合・良縁、建築、健康長寿、病除け、土地・道、諸芸、の神とされ現生利益が求められ祈られたという。

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そこで青面金剛像:それは、

三眼の憤怒相で四臂、それぞれの手に、三叉戟(三又になった矛のような法具)、棒、法輪、羂索(綱)を持ち、足下に二匹の邪鬼を踏まえ、両脇に二童子と四鬼神を伴う、という事らしい。

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庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。塚の上に石塔を建てることから庚申塚とも呼ばれる。

庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。

庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに、塞神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあった。:という事であった。

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